子どもの頃の感覚を思い出す。子どもの頃のネコを思い出す。
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて言われた。
「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
【マタイによる福音書 18章 1節から5節】
子どもだった頃、あなたは「存在する喜び」を感じていた。
ただ、そこにいるだけで、あなたは幸せだった。
ただ、生きているだけで、あなたは命の輝きに満たされていた。
悲しいことが、起こらなかったわけではない。
苦しいことも、辛いことも、いっぱいあったはずだ。
でもそれは、大人になった今のあなたの体験するそれとは違ったものだった。
どんな思いも、どんな感情も、それは全身全霊で受け止める、初めての神秘だった。
大人になった頃、あなたは「死への誘惑」に駆られていた。
ただ、呼吸をするだけで、あなたは不幸だった。
ただ、生きているだけで、あなたは光を失った牢獄に閉ざされていた。
嬉しいことが、起こらなかったわけではない。
楽しいことも、ワクワクすることも、たくさんあったはずだ。
でもそれは、あなたが子どもの頃に体験したそれとは違ったものだった。
どんな思考も、どんな感覚も、それはすでに知っている、ありふれた日常だった。
わたしたちはどうしてしまったのだろう?
どうして、「生」を純粋に喜べなくなってしまったのだろう?
どうして、無機質で退屈な大人になってしまったのだろう?
子どもたちは、いつも自分という存在を、100%全力で生きている。
100%の力で泣き、笑い、怖れ、立ち向かい、愛し、認めるのだ。
しかし、大人であるわたしたちにはそれができない。
経験という重荷が、絶えずわたしたちの「今」を束縛するからだ。
未来は怖れに満たされている。
そして、過去は何度でもあなたを傷つけるだろう。
では、救いはどこにあるのか?
誰があなたを助けてくれるというのか?
暗闇の中で考える。
意地悪な宇宙が答える。
「救いはこの世のどこにもない」
「誰もあなたを助けない」
「あなたの期待は裏切られ、すべての願いは叶わない」
どうしようもない自分がそこにいる。
憂鬱を切り裂く。
もう一度ゼロから。
光の中で沈黙する。
優しい宇宙が答える。
「救いは今、ここにある」
「あなたがあなたを救い出す」
「あなたの望みは叶えられ、すべての奇跡がここにある」
わたしたちはもう、十分にがんばったのだ。
疲れた。
本当に疲れた。
だからすべてを「何か」に委ねる。
すると、「それ」があなたを見つけ出す。
心の隅々を、意識のライトで照らす。
外側の物語ではなく、内側の世界だけを見つめる。
そうすれば、「それ」はそこにある。
あの頃の温もりが、あの頃と同じように、今もあなたを待ち続けている。
p.s.
私の考えた仮説を紹介します。
おそらく、脳には大きく分けて3つの部分があります。
「考える脳」、「感じる脳」、「存在を意識する脳」がそれらです。
それぞれ、左脳、右脳、それ以外の脳に対応しています。(3つ目は、松果体を中心とした原始的な脳の部分です)
どうやらこのうち、「存在を意識する脳」が、幸せ、つまり、あなたを本当のあなたに立ち返らせるための重要な鍵を握っているのではないかと思われます。
この、「存在を意識する脳」は、わたしたちの日常生活では、普段全く使われていません。
何か行動を起こすために、いちいち自分が存在しているということを確認する人はいないからです。
でも、どうやらここに秘密が隠されているようです。
世界中の聖者や覚者(悟りを開いた人)の文献に共通する事項を調べてみると、ある特殊な瞑想のような訓練によって、この「存在を意識する脳」を刺激していることがわかります。
「存在を意識する脳」は、自分という存在を意識することで活性化します。(そのまんまですね)
例えば、次のような感覚です。
- 「ここ」に「私が存在する」という感覚
- 「私がここにいる」という感覚
- 「私はある」という意識
- 「私」という感覚そのもの
このような感覚を常に意識にとどめ続けることで、次第に今まで使われてこなかった脳の部分が活発になり、いづれ様々な脳内の快楽物質が出てきたり、あるいは、認識そのものの変化によって、いわゆる悟りを開いた状態になるのではないかと思われます。
わたしはあなたに悟りを開いてもらいたいというよりは、あなたが幸せになり、元気になってもらいたいという普通の願いのためにこのようなことを書いています。(悟りなんて開いちゃったらラッキーだね☆というスタンスです)
この意識の訓練を続けると、小さなことでくよくよしなくなり、よく眠れるようになり、いつも幸せで穏やかな気持でいられるようになるので、そういった意味で普通におすすめです。(松果体がセロトニンだかメラトニンだかの活動機能に影響しているようです)
これらの感覚は、とてもありふれた普通の感覚なので、このことに意識を向け続けようという人はあんまりいないと思いますし、すごく退屈なので、他の楽しいことをやりたくなるかもしれません。
でも、なんだかとても、とても、すごく、すごく大切なことのように思われるので、この場で紹介させていただきました。
もしかしたら、何らかの形であなたの役に立つような気がしたのです。
瞑想やマインドフルネスに似ていますが、何か特定の一つのこと(例えば呼吸)に意識を集中するというよりは、「存在している感覚」に意識を向け続けるという感じです。(言葉にすると同じように聞こえますが、微妙に違うのです)
うまく言えませんが、普段使っていない脳の部分を使っているような頭の中の感覚と、胸の奥のあたりから、柔らかいエネルギーが出てきているような、また反対に、そこに全身が吸い寄せられているような、不思議な感覚が起こります。(100%に近い確率でこのことは読者の方には伝わっていないと思っています笑)
これは、じっと座っていなくても、作業をしたり、歩いていたり、仕事をしながらでも行うことができます。(行うというか、なんにもしないような感じですね)
割と簡単なことなのに、得られる効果が大きいので、ちょっと続けるのは大変かもしれませんが、でもまぁ、楽しみながらやってみてください。
存在に意識を向け続けると、子どもの頃、一人でおもちゃを使って遊んでいたときのような、懐かしい不思議な気持ちが蘇ってきます。
わたしが何を言っているのかよくわからないかもしれませんが、あんまり深く考えず、ふむふむ、そんなもんなのかネコちゃん、なんだかよくわからないけど、頭の片隅に入れておくよ、という感じで、すごく暇な時でいいので、ちょくちょく時間を見つけてはやってみてください。
効果を実感するのに地味に時間がかかるので、途中で飽きて忘れてしまう可能性は高いですが、忘れたら忘れたで何も問題ありません。
ただ、信じられないほどの熱意を持って、継続的に行うなら、あなたは愛の本当の意味を知ることになるでしょう。