本当に生きることは、かっこ悪いものだ。本当に生きるネコは、かっこ悪いものだ。
流行に乗るのはかっこいい。
時代の流れに敏感で、洗練され、新しい息吹を感じるから。
流行遅れのものはかっこ悪い。
ダサくて、ありふれていて、つまらないものだから。
でも、大切なことについて考える。
つまり、生きることについて。
人生の価値は、他人の評価で決まるものだっただろうか?
わたしたちの経験は、常に主観的で、自分だけのものであり、自分だけの宝物であるはずだ。
そんな大切なものを、流行りの思想や、大勢の他人の意見のために、無理やり変えてしまう必要なんてあるだろうか?
ない。
そんな必要はない。
あなたの生き様は、どんな色にも染めることのできない、オリジナルのものだから。
あるがままに存在する命、生命としての生命。
それが、あなたの本来のあり方だ。
そしてそれは、とてもかっこ悪いものだ。
自分に素直に生きるということは、すごくかっこ悪いことだ。
なぜなら、その命の美しさは、この世に一度も現れたことのないものだから。
あなたの美しさを定義できる言葉も、概念も、思考体系も、まだ地上に存在していないから。
本当に新しいものは、人間には分からず、本当に美しいものを、人間は認めることができない。
未知なるものは怖れに満ち、不可解で、忌み嫌うべきものだと、彼らにはプログラムされているから。
でも、かっこ悪い生き方の中にこそ、あなたの存在の本質は隠されている。
生きにくい生き方の中にこそ、あなたがあなたであることの輝きがある。
人生は辛くて苦しいものだ。
自分に嘘をつきながら生きれば、もしかしたらその痛みは和らぐのかもしれない。
でも、そのことが失わせる代償は、人生のすべてだ。
そんな生き方をすれば、あなたはすべてを失う。
生まれてきたことの意味が、全く失われてしまう。
だからこそ、わたしは、かっこ悪い生き方を選ぶほうが、ずっと、ずっと素晴らしいことだと思うのだ。
かっこいい生き方には、既存のやり方が無数に存在している。
しかし、かっこ悪い生き方には何もない。
参考にできるアイデアも、助言も、解答も、お手本も、プロットもない。
それは悩みながら、自分でその答えを見つけるしかないのだ。
それは、とても苦しくて、とても辛いことだ。
それでも、それだけが本当に「生きる」ことだと、わたしは思うのだ。
だから、わたしはあなたに何を伝えよう。
どんな言葉を贈れるだろう?
どんな思いを紡げるだろう?
……。
……。
どうか、自分を最後まで信じてください。
信じていること、確信していることが、この世界には展開されます。
だから、「自分」を「信じて」ください。
「自分」が「自分」であることを「信じて」ください。
これは少し奇妙に聞こえることでしょう。
「自分」が「何」であるのか、「どんなもの」であるのかを表現することが、人生の問いかけです。
折り重なる制限の中で、
執拗に迫る喪失の連続の中で、
あなたが絶対に失わないもの、
絶対に譲れないもの、
絶対に変えられないもの、
それがあなたの本質です。
そして、それは「愛」です。
「愛」という名前で呼ばれている「何か」です。
その「何か」のために、あなたはここにいて、その「何か」のために、あなたは生きています。
どうか、そのことを思い出してください。
「生きて」ください。
流されるのはやめましょう。
そんなことのために、あなたはそこにいるわけじゃありません。
流すために、あなたはそこにいるんです。
新しい生き方を創造してください。
あなたにしかできない、そういう生き方をしてください。
それはすごく不器用で、泥臭くて、かっこ悪くて、情けないものかもしれません。
でも、わたしは知っています。
本当にかっこいいのは、あなたのそういう生き方であることを。
そして、わたしは知っています。
あなたがいつもかっこいい存在であるということを。