自分の物語を愛する。ネコの物語を愛する。
すべての人間の一生は、神の手によって書かれた童話にすぎない。
【アンデルセン】
こんにちは。
愛と光の天使たち。
出会いと別れの旅人たちよ。
わたしはあなたのことを愛しています。
今日は「さよなら」について、そして「死」について、考えていきましょう。
人との出会いには必ず別れがあり、わたしたちの人生には終わりがあります。
でも、わたしたちは日常の雑事に追われる中で、このことを忘れてしまいがちです。
別れを意識した生き方、死を意識した生き方をいつも心がけて生きることができたら、わたしたちの人生はもっと豊かに、もっと意義のあるものに変わるように思います。
文学の世界では、「日常の中の非日常」を描くことが作家の仕事である、とよく言われています。
彼らの仕事は、「日常の中の非日常」を丁寧に描くことで、その作品を読む者の心にカタルシス(感情の浄化)を生み、そういった形によって人を癒やすことだと、わたしは理解しています。
なぜ、このようなことを語っているのかというと、わたしたちの人生は文学のようなものだからです。
わたしたちの人生には波があり、リズムがあり、穏やかな時間とそうではない時間が交互に展開されていきます。
いつも穏やかな時間を過ごすことができたら、とてもありがたいのですが、残念ながらわたしたちの人生はときに、突然の悲劇に見舞われてしまうものです。
わたしたちはこの「非日常」を、半ば強制的に、丁寧に生きるように強いられています。
どんなときにも、時間は止まってはくれないし、わたしたちはそれぞれのやり方で、そのことを乗り越えていかなければなりません。
たとえば、それは人との「別れ」であったり、それは人との「永遠の別れ」であったりします。
こういうとき、わたしはあなたに何を伝えようか、どんな言葉をかけようかと深く考え込んでしまうのです。
スピリチュアルな教えの本来の目的は、大切な人を失った悲しみを癒やすことにあります。
だからこそ、永遠の命、すなわち、魂について、わたしはあなたに伝えるのです。
わたしたちの人生という名の物語は、一体、誰に読まれるために存在しているのだろう、というようなことをわたしはよく考えます。
誰もが、毎日を一生懸命に生きていて、目の前のことに必死になっていますが、わたしたちの生きる世界はすべてが変わり、移ろいゆき、一定で変化しないものは一つもないのに、わたしたちは何のために、誰のために、こういう生き方を選択しているのだろう、と考えてしまうのです。
そこでわたしは「読者」という考え方にたどり着くのです。
このブログにも読者であるあなたがいて、そのことをわたしはとても不思議に感じているのですが(読んでくれてありがとう)、わたしたちの人生にも読者がいて、それは、わたしたちの魂なのではないか、という風にわたしは思ったのです。
このブログが、読者であるあなたに読まれることによって、はじめてブログとして成立するように、わたしたちの人生も、魂によって読まれることで、はじめて人生として成立するのではないかと思います。
魂というのは、愛であり、神さまという言葉に置き換えても同じことです。
わたしたちは神さまのペンによって描かれるだけ物語ではなく、わたしたちの意志によって描かれる物語の、神さまは読者でもあると思うのです。
わたしはこのブログの読者であるあなたのことを愛し、あなたのためにこの文章を書いていますが、あなたもわたしのことを愛し、わたしのためにこの文章を読むという行為をしてくれていないのなら、このブログはただのむなしいデータとしてクラウドを彷徨うだけの意味のないものになります。
それと同じように、わたしたちは一生懸命に人生という名の物語を紡ぎあげていますが、わたしたち一人一人が、つまりあなた自身の内なる神性が、自分の人生を愛してあげられないのなら、すなわち、自分の人生という名の物語の読者として、あなたがそこにいないのなら、わたしたちの人生もまた、意味のないものになります。
今わたしは、読むという行為の不思議について語っています。
傷ついた神の心を、癒やすことのできるものは、あなたの人生でしかないのではないかと思うのです。
わたしたちは、人生という名の物語の書き手であり、読者です。
つまり、生きるという行為には、創作であり、鑑賞である、という2つの性質があります。
わたしの一番伝えたいことは、大切な人の「死」は、わたしたちの知りうる世界の創作の終わりを意味しますが、だからといって、そのことをずっと嘆き悲しんだり、いつまでも悔やみ続けることで、彼らや彼女たちの創り上げてきたものの価値を貶めてはならないのではないか、ということです。
一つの物語の終わりは、別の物語の展開によって救済されます。
読むという行為は、その人の生き方を自分のものとすることであり、他人を受容し、理解し、新しい自分を創造する愛そのものなのだと、わたしは思うのです。
一冊の聖書が、複数の物語で紡がれているように、わたしたち人類の歴史は、大勢の人々の人生という物語で紡がれているのです。
物語は互いに影響しあい、それぞれの人間の生き方を変え、わたしたちは、本当に価値ある生涯を全うするために、今ここで、最善の努力をすることができるのです。
だからわたしはあなたに伝えます。
命の限りを尽くして、自分の物語を愛してください。
あなたが自分の物語に専念することが、あなたの関わった人々への本当の供養になり、どんな人の生き方も、どんな人との思い出も、決して無駄になることはないからです。
人はいつか死ぬのだから、悩んだり苦しんだりすることで人生を満たすのはやめて、自分の時間をこの上なく大切にし、他人に対して信じられないくらい優しく接するようにしましょう。
その方がずっと幸せでいられます。
だって、あなたにとっても、あなたの周りの人にとっても、明日は与えられないかもしれないのですから。
命は今日終わってしまうかもしれません。
それは誰にもわかりません。
誰かと喧嘩をしたり、自分を責めたりしたことが、あなたのした最後の行為となるべきではありません。
せめて、人と別れるときには、せめて、眠りにつくときには、愛のある言葉を、その人や自分自身に伝えられるようにして欲しいのです。
あなたは、愛するために生まれてきたのですから。
愛することのために、自分の命を使ってください。
あなたはこれから、どんな物語を描きたいですか?
あなたの生きる毎日が、素晴らしい出会いと別れ、美しい生と死の中で、いつまでもいつまでも幸せに輝きますように。
愛と光を。