考えるにゃ、感じるにゃ!
Don’t Think. Feel!
(考えるな、感じろ!)
It is like a finger pointing away to the moon.
(それは月を指さすのと似たようなものだ)
Don’t consentrate on the finger,or you will miss all that heavenly glory.
(指に集中するんじゃない、さもないとその先の栄光が得られないぞ)映画『燃えよドラゴン』
ようこそ。
愛と光の天使たち。
月明かりの神秘家たちよ。
わたしはあなたのことを愛しています。
今日は、「考えるな、感じろ」という言葉の意味から、真実(本当のあなた)を見出すためのお話です。
この言葉は、ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』や『スターウォーズ』に登場するマスター・ヨーダのセリフとして多くの人に知られています。(ヨーダっていうのは、あの緑色の変なやつです)
「本当の強さとは何か?」を伝えるこれらの映画の中に、同じセリフが選ばれているのは偶然ではないでしょう。
どこか、日本の「武道」や「芸道」、すなわち、剣道、柔道、弓道、空手道、茶道、華道、書道などに通じるものがあるように思います。
この言葉ははもともと、道元禅師の禅問答『指月のたとえ』から来ているそうです。
ある書物の意味をたずねた修道女に導師は答えました。
「私は文盲なのでどんなことが書いてあるのか、本を読んでくれないか」
それに対し、その修道女は言いました。
「あなたは字も読めないのに、どうしてこの話の意味を私に説明できるのでしょうか」
すると、道元導師はこう答えたのです。
「真実は言葉とは何の関係もありません。真実は空に見える明るい月に例えることができます。言葉は、この場合には、指に例えることができます。指は月の位置を指すことはできますが、大事なのは指ではありません。指にこだわっていては月を見ることはできません。真実にたどり着くには指を越えてその先の月を見なければなりません」
この話はとても深淵で、哲学的な内容を示しているような印象をわたしたちに与えます。
でも、このままだと具体的に何をすれば真実を知ることができるのかわからないですよね?
そこで、現代の医学の観点からこの言葉の意味を紐解いてみたいと思います。
「考えるな、感じろ」
実はこの言葉、とてもシンプルなことを伝えているんです。
考えているときは、左脳が働きます。
感じているときは、右脳が働きます。
きっと、このことを言いたいのだと思います。
つまり、使っている脳の部分が違う、ということを言っているのです。
実は、あなたが右脳だけを使うとき、あなたはこの世界を正確に捉えることができます。
右脳は左脳よりも情報の処理速度が圧倒的に速く、一瞬で物事の本質を掴むことができる可能性を秘めています。
驚異的な身体的能力や記憶力、速聴や速読、超能力(サイキック能力)、霊能力(スピリチュアルな能力)、直感、ひらめき、インスピレーション、これら人間の天才的な能力が発揮されるのは、この右脳の働きによるものなのです。
右脳は「悟りの脳」とも呼ばれており、人が右脳によって世界を捉えるとき、「個人」と「世界」との境界線はなくなり、今という瞬間にだけ意識を向けることができるようになり、この上ない至福の喜びをその人間は感じることができると言われています。
わたしたちは自分たちの能力の数パーセントも利用していないにも関わらず、この世界を小さく定義し、自分たちはこの世界で幸せになることはできないのだと判断するべきではありません。
あなたは幸せになります。
それは必ず実現します。
なぜなら、今、愛があなたのもとにやってきているからです。
愛がその存在に気づいてもらうために、あなたをこの場所に導いたのです。
そこで、『指月のたとえ』を用いて、わたしはさらにあなたに伝えます。
ここから先は、左脳ではなく、右脳で理解してみてください。
「月」は愛です。
「指」は世界です。
世界について頭で考えていても、愛を見つけることはできません。
愛を見つけるためには、世界が指し示しているものを心で感じ取る必要があるのです。
あなたのハートで世界を感じる必要があるのです。
そこに愛があります。
愛を見つけてください。
そして、これがとても不思議なことなのですが、あなたが愛なのです。
世界はいつも、あなたのことを指さしているのです。
また、世界も、本当は愛です。
世界も、愛も、あなたも、すべて同じものです。
わたしたちは一つです。
このことは頭で考えると矛盾することでしょう。
月を指さして、その指を見るなと言われているのに、指も月であると言っているのですからね。
そもそも、指さしているその人物こそが、月であるとも言っているのです。
真実は人間の理解を超えています。
でも、月明かりに照らされなければ、わたしたちは月を知ることはありません。
月明かりは月でしょうか?
どこからどこまでが月でしょうか?
わたしたちがいないとき、月はそこにあるでしょうか?
月という経験や認識は月でしょうか?
月を月にしているものは、一体誰なのでしょうか?
考えないでください。
感じてください。
不思議な気持ち、神秘的な感情、それが答えです。
そこにとどまってください。
それが愛であり、それが生命です。
「?」が愛です。
たぶん、あなたは意味がわからないと思っていると思います。
でも、どこかで、おかしなことを言っているわたしの言葉に惹かれているあなたもいるのです。
わたしはあなたの声であり、あなたはわたしなのです。
あなたではないあなたが、今ここににいるのです。
感じてください。
ただ、感じてください。
あなたの生きる毎日が、何も考えず、けれど、すべてを感じる奇跡となりますように。
愛と光を。