この自分を探しています。このネコを探しています。
この世でいちばん遠い場所は
自分自身の心である
【寺山修司】
こんにちは。
愛と光の天使たち。
自分探しの旅人たちよ。
わたしはあなたのことを愛しています。
今日は「自分」というものについて書いていきます。
あなたはよく、街角などに、『このネコを探しています』という内容のポスターが貼られているのを見たことがあるかと思います。
最近はSNSなどでも、ネコちゃんを探している人はいっぱいいますね。
ネコちゃんたちは好奇心旺盛で基本自由なので、ふらふらとどこかへ行ってしまうわけです。
飼い主さんはとても心配して、なんとかしてネコちゃんを見つけたくて必死なわけです。
もしかしたらこのやり方で、ネコちゃんを見つけてくれた方が連絡をしてくれて、ネコちゃんと再会でき、めでたしめでたし、とうまくいくかもしれません。
探したいものがネコちゃんの場合には、このやり方でいいのだと思います。
でももし、それが「あなた自身」だったとしたらどうでしょうか?
『この自分を探しています』というポスターを掲示したり、SNSで『自分がどこかに行ってしまったので、見つけたら連絡してください』などとお願いしたら、「あなた」は見つかるでしょうか?
たぶん、このやり方では、あなたは自分を見つけることはできないと思います。
「公園で見かけたので保護しましたよ、お礼に100万円ください!」とか、「OK、探してあげるから一緒に食事にでも行きませんか?」などという人がいたら、その方は嘘をついているだけでなく、やべー方ですので注意してくださいね。(この場合、募集した人もやべー方ですけどね)
何がいいたいのかというと、探しているものは、それを失くした場所でなければ見つけることができないということです。
あなたの人生というものは、あなたが自分を探すための旅であると言えます。
人生には嬉しいことや悲しいこと、楽しいことや辛いこと、本当に様々な経験が、あなたの身に起こり、そして過ぎ去っていきます。
そこで、あなたは自分自身を知るのです。
でも、本当のあなたというのは何でしょうか?
様々な経験を通して、あなたはあなたという存在を知っていくように思われますが、あなたを知るあなたとは、一体誰なのでしょうか?
嬉しいときの「嬉しさ」、悲しいときの「悲しさ」、楽しいときの「楽しさ」、辛いときの「辛さ」など、そういった経験を通してあなたを知るあなたとは、あなたがいつもあなただと思っている存在ではないように思います。
というのも、何かを本当の意味で知るためには、その知る主体が変化することは許されないからです。
何かを知るための主体が変化したり、その存在が揺れ動くものならば、わたしたちは何も知ることはできないのです。
というのも、知るということは、「知識」という脳内の電気信号を所有することだからです。
その電気信号はデータであり、単なるエネルギーに過ぎず、常に変化し、一定ではありません。
その電気信号は、もっと大きな電気信号(自分という想念)によって解釈されていますが、こちらもやはり変化し、一定ではありません。
でも、そうだとすると、わたしたちは何も知ることはできません。
もし、知るということの本当の意味が、頭で理解するということを意味しているのならば、「自分」が「自分」を知るということは不可能なのです。
なぜなら、わたしたちは脳を使うことでしか、何かを知ることはできないと信じているからです。
ここに、「知る」という言葉が存在しているにも関わらず、わたしたちは何も知ることはできないのだという矛盾があります。
生きること、生命活動は、自分以外のものと関わることで自分を体験する奇跡です。
わたしたちは明らかに、自分というものを探すために何かをしています。
しかし、そうでありながら、わたしたちは自分を絶対に見つけることのできない方法で自分を探しているのです。
このやり方を選択しているとき、わたしたちは本当の意味では生きてはいないのです。
雲が雲を掴もうとしているように、幻想によって幻想を掴もうとしているのがわたしたちです。
これでは、『この自分を探しています』というポスターや『自分がどこかに行ってしまったので、見つけたら連絡してください』というSNSのメッセージと同じことをわたしたちはしてしまっているのです。
わたしたちは、どこかで何かを間違えています。
わたしたちの頭や脳では、自分を見つけることは絶対にできないのです。
自己啓発書の中には、あなたはいません。
セミナーやワークショップに参加しても、あなたは見つかりません。
どんなに勉強しても、仕事に没頭しても、誰かに恋をしても、一人でいくら考え続けても、あなたはあなたを見つけることはできません。
では、本当のあなたは、一体どこで見つかるのでしょうか?
この世界のどこに、あなたはいるのでしょうか?
実は、あなたはこの世界にはいません。
この世界の中をどんなに探し求めても、あなたはそこにいないのです。
そして、これはとても大切なことなのですが、あなたはあなたのことをすでに見つけていて、それを見ないようにしているだけなのです。
あなたは、探す必要のないものを探しているのです。
『この自分を探しています』のポスターを街で見かけたら、きっとあなたはそれを滑稽だと思うでしょう。
たぶん、「いやいや、自分は自分じゃん、そこにいるじゃん」と思いますよね。
でも、無意識にそれと同じことをしているとしたらどうでしょうか?
わたしがこんなことを言うのは、あなたがしていると思っていることをしていないからなのです。
あなたは自分を探そう思いながら、自分を探していないのです。
自分というものは目の前にいます。
あなたの目に映るすべてのものが自分です。
でも、あなたはそれを自分だとは思っていません。
なぜなら、あなたはいつも頭の中の過去を見ているからです。
どんな経験も、どんな事象も、あなたは本当の意味でそれを見ていません。
あなたは頭の中で作り上げた物語のコピーのコピーのコピーを見ています。
一つひとつの対象物から、何十億という概念が付着した概念が付着した概念を見ています。
世界は一つひとつのものから創られているのではなく、世界は一つです。
一つの生命が目の前に広がっていて、そして、それはあなたです。
だから、探すのはやめてください。
幻想の中に自分という存在の影を追い求めるのはやめてください。
そんなこと言われても、何をしたらいいのかわからないよ、教えてよネコちゃん、とあなたは言われることでしょう。
だからわたしはあなたに伝えます。
まず、頭の中のおしゃべりと、体が教える感覚と、この世界で起こっているすべてことが、すべて同じものであり、同じ嘘であることを知ってください。
嘘というものは、信じなければ、そこに意味は生まれません。
嘘でないものがあります。
それが愛です。
つまり、愛を信じてください、とわたしはあなたに伝えるのです。
愛だけが存在していて、あなたの目の前に広がっています。
もう、これでもかっ!、っていうくらい広がっています。
嘘はどこにもありません。
だから、嘘を信じるのはやめてください。
「お金持ちになったら、幸せになれるよ」
嘘です。
「有名になったら、幸せになれるよ」
嘘です。
「イケメンになったら、美人になったら、幸せになれるよ」
嘘です。
この世界と幸せとは何の関係もありません。
「幸せって人それぞれでしょ?」
それも嘘です。
人が、バラバラに存在していると思っているのなら、幸せはそこにはありません。
幸せは一つです。
たくさんの嘘が、当たり前のようにこの世界を包んでいます。
だから、いろんな声を、あなたから遠ざけてください。
わたしの言葉をも、あなたから遠ざけてください。
あなたの中に答えがあって、あなたのやり方でそれは見つかります。
あなたの中にだけ答えがあって、あなたのやり方でだけそれは見つかります。
自分を探すために、何かをする必要はありません。
しないことをしてください。
それは瞑想に似ていますが、瞑想の先にあるものです。
それは祈りに似ていますが、祈りを超えたものです。
はじめて自分の人生や、自分という存在に疑問を抱いた日のことを思い出してください。
あなたはそのとき、「私って誰?」「この世界って何?」などと尋ねたと思います。
そのときの気持ち、そのときの不思議な感覚を大切にしてください。
そのときの気持ち、そのときの不思議な感覚があなたを真実へと導きます。
もう一度生まれてください。
あの頃のように、もう一度尋ねてください。
いつも尋ね続けてください。
その先に答えがあります。
あなたの生きる毎日が、自分を探すことを終わらせ、いつも自分で「ある」ことに気がつくものでありますように。
愛と光を。
p.s.
おや?
こんなところにポスターが落ちていました。
なになに。
この人を探しています。
とても優しくて、思いやりがあって、勇敢で、ユーモアがあって、親切で、礼儀正しくて、美しくて、かっこよくて、素直で、才能豊かで、清らかで、素敵な人です。
ここに、「世界」という鏡のポスターを貼っておくので、そこに映った方をもし見かけたら、連絡をください。
わたしはこの子を愛しています。
どうしても見つけたいのです。
どうか、ご協力のほどよろしくお願いします。
神さまより。
ふむふむ。
どうやら、神さまという方が誰かのことを探しているようですね。
この誰かのことを見つけたくて必死なようですね。(お子さんなのかな?)
でも、鏡ってどういう意味ですかね?
これじゃあちょっと何言ってるのかわからないですよね。
世界?鏡?
一体なんのことでしょうかね。
誰のことを探しているんだろう?
連絡先も書いてありませんね。
イタズラですかね。
あなたはこの意味がわかりますか?