世界は神さまの食べた冷蔵庫のプリン。世界はネコの食べた冷蔵庫のプリン。
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
【旧約聖書 詩編 23編1節】
ようこそ!
愛と光の天使たち!
100回記念のスペシャルゲストたちよ!!
わたしはあなたのことを心から愛しています!!
今日は『ネコによる福音書』が100記事目の更新を迎えたので、お祝いとして「100」という数字にちなんだお話をしますね。
わたしは、この世界にあるどんなものからでも、神さまからの愛のメッセージを受け取ることができると信じています。
そのためには、何も特別な力なんて必要ありません。
誰にだって見つけられます。
愛はそこらじゅうに転がっているのですから。
それでは、「100」という数字から、神さまからの愛のメッセージを読みとってご覧にいれましょう。
100。
……。
ふむふむ。(いきなり挫折しそうなのは内緒です)
100ですか。
ひゃく。
う~ん、イチゼロゼロ?
おや、少し見えてきました。
100という数字は、「1」と「0」と「0」で構成されています。
あたりまえですね。
この「1」という数字は、数学上の最小単位で、「ある」ということを意味するかと思います。
そして「0」という数字は、インドから生まれた概念で、「ない」ということを意味しますね。
あ、なんだかぼんやりと言いたいことが見えてきましたよ。
つまり、「100」という数字は、言葉にすると次のとおりです。
「ある」ということは、「ない」ことが「ない」ことである。
こんな感じですね。
え?これじゃあ何を言っているのかわかりませんか?
わたしにもまだわかりません(笑)
う~ん、これはつまり、こういうことだと思います。
「ある」=「存在」です。
「ない」=「非存在」です。
また、「ない」=「否定」でもあります。
すなわち、100の意味しているものは、「存在」するということが、「非存在」の「否定」という形をとっているということです。
少しわかりずらいと思いますので、例えを用いてみますね。
あるところに、夢子さんという方がいらっしゃいました。
夢子さんは、スーパーで買ってきた大好きなプリンを冷蔵庫に入れて、あとで食べようと考えていました。
ところが、少し時間が経ってから、夢子さんが冷蔵庫を開けてみると、そこにはプリンはありませんでした。
はたして、プリンはどこにいってしまったのでしょうか?
これはよくある話ですね。
きっと、夢子さんの家族のうちの誰かが食べてしまったとか、そんなところだろうと思います。
冷蔵庫の中には、たしかにプリンは「ある」はずでした。
しかし、実際にはプリンは「ない」のです。
「ある」=「1」であり、「ない」=「0」なので、これではまだ「10」のお話ですね。
わたしたちの読みとろうとしている神さまからの愛のメッセージは「100」なので、これにもう少し付け加えないといけません。
そこで、次のように考えました。
それは、もしかしたら、夢子さんが「冷蔵庫の中にはプリンがない」と思っているのは、実は夢の中のお話なのではないのか、ということです。
「夢子」という名前からして怪しいですもんね。
もし、夢子さんが「冷蔵庫の中にはプリンがない」という夢を見ているとしたら、冷蔵庫にはまだプリンが入っているはずです。
今は、夢子さんにとっては、「プリンがない」ことが現実です。
しかし、もしかしたら、「プリンはある」のかもしれないのです。
プリンが存在するのか、それとも存在しないのかは、夢子さんが目を覚まして、本人に確認してもらう以外に知る方法はありません。
さて、この例え話は、わたしたちの生きている現実世界にも同じことがいえます。
わたしたちはいつも、「私にはお金がない」とか「私には時間がない」とか「私には才能がない」とか「私には実力がない」など、自分に足りない何かをいつも求めています。
「私」はいつもいつも、不足の思いによって支配されています。
それが、どうやらわたしたちの苦しみの原因であるようです。
そのこと自体は、別に真新しい考え方ではありません。
わたしたちは今まで一生懸命に生きてきたので、生きることは苦しいことであることをよく知っているのです。
ここで、わたしからあなたへの提案があります。
たしかに、あなたにとっては、「お金」や「時間」や「才能」や「実力」などがないのは現実かもしれません。
他にも、「健康」、「容姿の美しさ」、「体のかっこよさ」、「恋人」、「友人」、「円満な人間関係」、「天職」、「生きがい」など、本当に様々なものが、あなたには足りないかもしれません。
でも、もしかしたら、現実に対するもっと別の見方があるのではないのか、と考えることはできるはずです。
あなたにとって、現実は一つだけです。
でも、その現実の解釈には、限りがありません。
だから、たとえば、自分は夢を見ているのかもしれない、とか、私が見ている現実は真実ではないのかもしれない、とか、この出来事には別の意味が隠されているのかもしれない、と考えてみて欲しいのです。
こういった人生に対する別の見方、別の受け取り方、別の考え方をしてみても、すぐに苦しみから解放されるわけではないかもしれません。
というよりも、すぐに結果は現れないのが普通です。
苦しみは苦しみのままです。
でも、「私」のやり方はいつも正しくて、現実に不幸が満ち溢れているのは、この世界が悪いからだ、と考え続けていても、世界が変わることはありません。
なぜなら、それはあなたがこれまでずっとやってきたやり方だからです。
そうではなくて、もしかしたら「私」の今までのやり方はどこか間違っていて、現実というものは、そのやり方が反映されているだけなのではないのか、という考え方をしてみるんです。
そうすると、世界が揺らぎ始めます。
実はこのとき、世界は何も変わっていません。
このとき変わるのは、「私」というものの認識です。
「私」が間違っているかもしれないという考え方をするときの「私」とは、実はあなたのことではなくて「エゴ」のことなのです。
あなたは「エゴ」ではありません。
あなたが「エゴ」を否定するとき、一つの「エゴ」が消えます。
実は、「私」というものは、たくさんの「エゴ」が集まってできた想念の集合体なのです。
この「私」が、苦しみの原因です。
苦しみというものは、何かが足りないことではなく、「私の」お金がない、「私の」時間がない、「私の」才能がない、「私の」実力がない、というすべてを「私」に結びつける考え方によるものなのです。
ここに、全く別の考え方を持ち込むのです。
それが、「ない」ものは「ない」という考え方です。
これは、「ない」ものは「ない」んだからあきらめなさい、という意味ではありません。
そうではなくて、「ない」ものは存在しない、つまり、すべてのものが「ある」んだよ、すべてのものが今、完璧に与えられているんだよ、という意味です。
これが、「100」という数字の教えていることだと思います。
あなたに必要なものは今、すべて十分に与えられています。
このことは、今のあなたにとっては、ただの「嘘」だと思います。
「はぁ、そんなこと言われても、お金も時間も何もかも私にはありませんけど?」という感じかもしれません。
そのとおりです。
嘘です。
でも、この嘘が、あなたを救い出すための「聖なる嘘」なのです。
この「聖なる嘘」のことを、辛いこと、苦しいことがあるたびに思い出してみてください。
何かがなくて悲しいとき、理由もなく憂鬱なとき、なんで手に入らないんだろう?どうして幸せになれないんだろう?と思うとき、いや、待てよ、たしか変なブログの変なネコが、「すべてのものが完璧に与えられている」というようなことを言っていたな、嘘くさいけど、全く信用ならないけど、少し試してみるか、というような感じで試してみてください。
これは、大いなる愛の認知療法なのです。
あなたの体験している現実を根底から覆すような、大きな意味のある認識の変化なのです。
あなたが苦しんでいるとき、そのときには必ず、あなたの認知が歪んでいます。
あなたはそこに存在しないはずのものに傷つけられたり、そこには「ない」はずのものに大切な何かを奪われていると感じています。
実は、本当の嘘はこちらなのです。
あなたは愛です。
あなたが愛であるということが、正しい認知であり、正しい認識です。
そこには苦しみはありません。
そして、もっと重要なのは、もしかしたら、自分は愛であるかもしれない、という発想だけでも、あなたを苦しみから少しずつ解放させることができるということです。
特別な悟りなんて必要ではありませんよ。
たった今この瞬間から幸せになれます。
あなたは肉体を超えた存在であり、苦しむ必要のない存在です。
だから、あなたの認識を変えて、あなたの行動を変えてみてください。
あとあなたに必要なのは、「勇気」だけだと思います。
あなたはこんな風にわたしが長々と話をしなくても、自分がやるべきことを知っています。
でもきっと、その勇気が出せないでいるのだと思います。
この「勇気」というものがとてもやっかいなもので、こればっかりは、誰にもあなたに与えることができないものなんです。
それは、神さまの力をもってしても無理なんです。
「勇気」だけは、あなたが自力で出すしかないんです。
といっても、あなたの認識が愛へと変貌すると、現実が少しずつ変わっていき、「勇気」も自然と湧き上がってきます。
なぜなら、「勇気」は愛に属するからです。
まさに、あなたに必要なすべてのものが与えられているのです。
だから、安心していてくださいね。
「100」という数字から神さまの愛のメッセージを導き出せるのか不安でしたが、なんとか形になりましたね。(なってますよね??笑)
これもひとえに、あなたのおかげです。
いつもいつもあなたのおかげさまです。
本当にありがとう。
あなたに足りない何かは、もうそこにはありません。
あなたはすでに恵みを受けており、必要なすべてのものが与えられています。
今はそのことを信じられないかもしれませんが、それでも、その優しい嘘を信じてみてください。
信じることで、それは嘘から真実へと変わります。
あなたが幻想を現実へと変えたように、あなたは自分の現実を真実へと変える力があります。
あなたの中にある隠された神秘の力を、この世界で発揮してください。
あなたの生きる毎日が、「ある」ことを信じることによって、「ない」ことを「ない」ことに変えるものとなりますように。
100の愛と100の光を。
p.s.
最後の最後に、ユダヤ教とキリスト教の双方で最も愛され、引用されてきた『詩編23編』の中で、わたしのお気に入りの翻訳も紹介します。
これは何かの映画で使われていたような気がします。
実はこれ、わたしの口ぐせです。(ちょっと変な口ぐせですよね笑)
これを唱えると、なぜか心が落ち着くんです。
主は羊飼い、わたしは満ちている。
【旧約聖書 詩編23編1節】
100回目の記事を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
愛を込めて。
あなたのネコより。
※聖書の引用は、日本聖書協会『新共同訳 旧約聖書』からのものです。
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