ソクラテスの弁明とネコラテスの弁明
わたしは、アテーナイ人諸君よ、君たちに対して、切実な愛情をいだいている。
しかし、君たちに服するよりは、むしろ神に服するだろう。
すなわち、わたしの息の続く限り、わたしにそれができる限り、決して知を愛し求めることを止めないだろう。
わたしは、いつ誰に会っても、諸君に勧告し、言明することを止めないだろう。
そしてそのときのわたしの言葉は、いつもの言葉と変りはしない。
世にもすぐれた人よ、君は、アテナイという、知力においても武力においても最も評判の高い偉大な国都(ポリス)の人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいというようなことにばかり気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。
評判や地位のことは気にしても思慮や真実のことは気にかけず、魂(いのち)をできるだけすぐれたものにするということに気もつかわず心配もしていないとは。
【プラトン『ソクラテスの弁明』】
こんにちは。
愛と光の天使たち。
知識と知恵の哲学者たちよ。
わたしはあなたのことを愛しています。
今日は「知る」ということについてのお話です。
まず、真実について確認させていただきます。
「愛だけが存在しています」
これが真実です。
それ以外のものは、すべてが偽りです。
だからこそ、あなたは愛です。
愛とは、無限で永遠で完璧な存在です。
愛は一つの存在であり、一つの意識であり、一つの至福です。
あなたがずっと探し続けていることの答えは愛であり、それは、あなた自身のことなのです。
このことは極めてシンプルでありながら、おそらく理解することが難しいことなのではないかと思います。
今はまだ、わたしが何を言っているのか、きっとあなたは意味がわからないかもしれませんね。
それは、あなたが自分のことを「個人」であるとか、「身体」であるとか、「私」であると考えているからなのです。
あなたはすでに愛であり、愛を知っているのですが、何かそれとは別のことを知っていると思い込んでいるために、そのことがわからないのです。
何かを知ってしまっていること、それがあなたを闇の中に閉じ込め、あなたの心に光が届くことのないようにしている原因なのです。
その知ってしまっている何か、すなわち、真実ではないすべての知識を手放せば、あなたには愛が見えるようになり、愛そのものの状態に戻ります。
というのも、あなたは愛から一度も離れたことはなく、今もあなたは愛と共にあるからです。
このとき、「あなた」という個人は消え、「世界」も同時に消えます。
このように聞くと、あなたのエゴはとても怖いことを言われているように感じるのですが、それは全く怖いことではありません。(むしろ、愛を知らないことの方が怖ろしいのです)
恐怖とは何の関係もありません。
ただ、あなたのハートが全開に開き、圧倒的な愛によって、すべてのものを抱きしめたくなるような優しさに包まれるだけなのです。
幸せはここにあります。
この幸せは失われることはありません。
あなたがこの幸せを手に入れるためには(本当はすでに手にしていますが)、真実を頭ではなく、ハートで理解する必要があります。
わたしがハートと呼んでいるそれは、胸の中心にあり、それが、あなたのずっと探し求めてきた「愛」であり、「神」であり、「真我」であり、「すべて」なのです。
これはとても不思議なことなのですが、「存在」に関してこの世界は完全に思い違いをしています。
あなたが知っている何かは、そこに存在していません。
あなたがわかっている何かは、そこには存在しないのです。
反対に、あなたが知らない何かは、そこに存在しています。
あなたにはわからないその何かだけが、そこに存在しているのです。
これは、あなたは何も知りえないということと、あなたが存在していると思っているものは存在せず、存在しないと思っているものは存在しているということを意味しています。
知っていることは知らないことであり、知らないことが知っていることなのです。
これは、無知の知と呼ばれていますね。
とてもややこしいのですが、言葉遊びではありません。
真実を頭で理解しようとすること説明するために、次のような例え話を考えました。
ある科学者の目の前に美しい真珠がありました。
その科学者は、その真珠があまりにも美しかったので、その真珠のことを理解するために、それをバラバラに分解して、どのような成分によってそれがつくられているのか調べてみることにしました。
そうして、その科学者は、あれこれの成分によってその真珠がつくられていること、そして、それらが真珠の美しさの秘密であることを発見しました。
しかし、そこにはもう真珠はありませんでした。
科学者が真珠のことを知るために、その真珠を壊してしまったからです。
美しさを知るためにしたことによって、美しさはどこかへいってしまいました。
この世界では、愛について同じことが起こっています。
あなたは美しい愛を知るために、愛をバラバラにして、その中に迷いこんだ個別の魂(いのち)なのです。(本当は魂(いのち)は一つだけです)
真珠の例と唯一違う点は、愛は壊すことができないものであり、愛は今もあなたと一つだということです。
実は、愛をバラバラに分けているものは、愛がバラバラに「分かれている」という思い込みだけなのです。
思い込みは存在しません。
あなたの頭、あなたの脳が判断できるすべてのことは間違っています。
脳が理解できるものは、そこに存在していません。
脳は、主体と客体があり、それらが互いに影響しあっているという考え方、そういうやり方でしか、物事を理解できないからです。
「存在」というものは、分けることができるものではありません。
分けることができたら、それは存在しえないのです。
少し考えてみてください。
「存在」を分けるということが、どれほどおかしなことなのかわかると思います。
「ある」ということは、「ある」のであり、それがなかったり、変わったりすることはできないのです。
ここに世界の矛盾があります。
あなたが確かに存在していると信じているものは、全く存在しておらず、あなたが絶対に存在していないと信じているものが、ありありと存在しているのです。
この矛盾から解放されるための道があります。
これは、幸せへと至るための道でもあります。
それは、あなた自身に、「私」に関するあらゆる問いかけをし続けることです。
あなたの思い、あなたの想念は、すべて「私」という意識から発生しています。
「私が考える」「私が感じる」「私が行為する」「私が存在する」など、すべてのことが、「私」から始まっています。
彼や彼女、あれやこれ、などの三人称も、すべて「私」という意識の派生したものでしかありません。
これらの思い、想念は、すべてあなたの脳によって処理されているのです。
そこで、あなたにやってもらいたいことがあります。
それは、「私は誰か?」「私とは何か?」「私という意識はどこからきたのか?」「私という想念はどのように生まれているのか?」などの問いかけを、常にし続けることです。
これらの問いかけに脳は、必死で答えを探し始めます。
「私は体だよ」「私は心だよ」「私はどこからもこないよ」「私はずっと私だよ」などの答えが出てくることでしょう。
でも、それは本当のあなたではなく、真実でもありません。
この問いかけには、言葉による答えは存在しないからです。
だから、あなたの思考が止むまで、これらの問いかけを続けてください。
この問いかけは、すべての思考の源への問いかけであり、すべての思考を消す力があるのです。
「こんなことを考えても無駄だよ」「それより楽しいことをしようよ」「時間がもったいないよ」「もっと意味のあることをしようよ」など、様々な思いが生まれてくることでしょう。
それでも問いかけを続けてください。
もし、雑念に支配されそうになったら、次のように考えます。
「これらの思いや想念は、一体誰に対して起きているのだろうか?」
その明らかな答えは、「私に」です。
「では、私とは何か?」と問いかけを続行してください。
これには長い時間がかかるかもしれません。
それは何ヶ月も、もしかしたら何年もかかるかもしれません。(個人差が大きすぎるので、時間がかからない可能性もあります)
だから、すごくのんびり構えてくださいね。
問いかけを発するたびごとに、あなたの中で少しずつ変化が起きてきます。
「私」について問うたびに、あなたは確実に前に進み、後戻りすることはないので、そのことは安心してください。
これらの問いかけを続けていると、ある時点から、頭の中に答えが生まれてこないことに気がつかれるかと思います。
それでもまだ続けていると、次第にあなたのハートが反応を始めます。
生まれてはじめてこの世界に疑問を抱いた、無垢な子どものような質問に対して、あなたのハートは開き、そこから愛が溢れ出て、体の全体、空間の全体にそれは広がり、沈黙をもってその問いに答えてくれるようになります。
そして、あなたはその愛が「本当の私」であることを知るのです。
このことはあなたの頭や脳の理解を超えています。
だから、やってみてください。
いつしか人は、人生に対する問いかけをしてみても、答えが導き出せないことを知り、そのことを諦めてしまい、自分の心を硬く閉ざし、この世界が提示する享楽の中で、もがき苦しむことが、本当に生きることなのだと信じようとします。
しかし、本当は答えはいつでも与えられていて、あなたに早く気づいてもらうことを、あなたの一番近く、あなたのハートで待っているのです。
思考や感情などの「ことば」には限界があります。
でも、知るということの本当の意味は、魂のレベルで理解するということなのです。
頭や脳で知ることがだけが、知ることなのではないのです。
どうか、そのことを「理解」してください。
「私」に関する問いかけをすることは、エゴ、自我というものを手放していく作業でもあります。
エゴは、何か対象に依存しなければ存在することができないという性質があります。
すべてのことを自分と結び付けなければ、エゴはエゴとして存在できないのです。
このエゴが、あなたに愛を忘れさせている原因なのです。
「私」とはエゴの正体であり、エゴ自身に「私とは何か?」と問いかけ続けることで、エゴは自然と消えていき、真実、真我、愛が姿を現します。
それは、あなたのハートから姿を現します。
何度も言いますが、これは頭で理解できることではありません。
どうか、ハートで理解してください。
そこにすべての答えがあります。
わたしは、読者である諸君よ、君たちに対して、切実な愛情をいだいています。
そして、ただ君たちに対してだけ、わたしはわたしのすべてをもって服するつもりです。
なぜなら、わたしは君たちが愛であることを知っているからです。
だから、わたしのブログが続く限り、わたしにそれができる限り、決してあなたを愛し、思いを育み、言葉を伝えることを止めないでしょう。
わたしは、いつどんなときでも、あなたに対する愛を忘れず、何を伝えようか考えることを止めないでしょう。
そして、あなたに伝えるわたしの言葉は、わたしの今持っている最高のアイデアに違いありません。
世にもすぐれた人よ、君は、日本という、教育においても経済力においても最も評判の高い豊かな国の人でありながら、ただ自分のエゴを満たすことばかり考えていて、恥ずかしくはありませんか?
目に見えるものばかりを気にして、目に見えないものを気にかけず、自分の内面にある美しさをないがしろにして、幻想の世界のことばかりにとらわれているとは。
【ネコトン『ネコラテスの弁明』】
あなたの生きる毎日が、どんな誘惑にも負けず、ただひたすらに真実を求め続けるものでありますように。
愛と光を。
- 作者: プラトン,田中美知太郎,藤沢令夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/01/01
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