ネコによる福音書

~愛と癒しのメッセージ~

ネコによる福音書
ネコによる福音書

愛と自由を抱きしめよう。ネコとイヌを抱きしめよう。

ねこ

 

こんにちは。

愛と光の天使たち。

生まれたばかりの赤ちゃんたちよ。

わたしはあなたのことが大好きです。

 

今日は「思考」を手放し、「自我」から解放され、「愛」と「自由」を獲得するためのお話です。

 

人間の主な苦しみの原因は、その「思考」にあります。

 

この場合の「思考」とは、頭の中の無駄なおしゃべりのことです。

 

必要なときに、必要なことを考えることには、何の問題もありません。

 

そうではなくて、頭の中であれこれと様々なものに意味を与えてしまうことが、あなたの苦しみの原因となっているのです。

 

たとえば、あのことが悲しいとか、これには怒りを感じるとか、自分や他人のことが嫌いであるとか、人生は辛いものであるとか、そういった「思考」があなたを苦しめているのです。

 

この世界にはもともと意味はありません。

 

これは、この世界はむなしい場所ですよ、ということを言っているわけではありません。

 

そうではなくて、この世界は、真っ白いキャンパスであり、白紙の状態であり、ただそこに、ありのままの姿かたちを有し、ありのままの状態でそこに存在しているのだ、ということです。

 

この、最初の状態、最初の世界は、とても美しいものです。

 

今、わたしはこの最初の世界に対し、「美しい」という意味を与えてしまっていますが、これはあなたに、この最初の世界について説明をするために使っている言葉であって、実際の美しさは、その意味を超えており、言葉で表現することができないものであることをご理解ください。

 

とてももどかしいのですが、このように伝えるほか、わたしには方法がないのです。

 

この最初の世界を、何に例えたらよいのかを考えました。

 

そしてそれは、赤ちゃんが見ている世界、赤ちゃんの感じている世界なのだと気がついたのです。

 

あなたはこの世界に生まれてから、一つずつ言葉を覚えてきました。

 

初めて覚えた言葉は、「ママ」とか「パパ」であったかもしれません。(もしかしたらアンパンマンかもしれません)

 

まずあなたは、「わんわん」(犬)とか「ブーブー」(車)などの一つひとつの名詞を覚え、それから、「いいよ」とか「ダメだよ」などといった概念を覚え、次第に、「ハイハイ」や「あんよ」(歩く)などの動詞を覚え、「きれいきれい」や「ばっちい」(汚い)などの形容詞を覚えていきました。

 

何が言いたいのかというと、この世界の中にあるもの、この世界の中でできること、この世界の中のものを表現することが、あなたに言葉を与えたのです。

 

成長するにしたがい、あなたはもっと高度な言葉を、もっと複雑な表現を覚えていきました。

 

そうしてあなたには、ある日、「自我」が芽生えます。

 

これは「エゴ」や「物心がつく」ということと同じ意味です。

 

この「自我」こそが、あなたに苦しみを与えているものの正体なのです。

 

「自我」が芽生えると、あなたは最初の世界、純粋な世界から分離させられます。

 

自分と、世界とを、別々のものだと判断するようになるのです。

 

もっとも、「自我」は悪いものではありません。

 

というのも、「自我」というものは、言葉による意識の構造体系の名であり、実際には存在していないものだからです。

 

実際には存在していないにも関わらず、「自我」がわたしたちを苦しめているのは、「自我」それ自身が、本当は存在していないということを知っていて、そのことをわたしたちには絶対に知られることのないようにと、あらゆる画策をするためなのです。

 

「自我」は生き物のようにあなたの中にあって、あなたが外で体験する「現実」の中にあっても、他人という形をとってあなたに攻撃をしかけたり、悲劇としてあなたの前に姿を現したりします。

 

本来、「自我」それ自体にはあなたを苦しめる力はありません。

 

あなたが「自我」によって苦しむのは、自分を「自我」と同一視したときだけです。

 

自分のことを「自我」だと思い込むとき、あなたは苦しむことになります。

 

今もあなたは、自分のことを「自我」だと思い込んでいます。

 

あなたが自分の頭で考え、自分の力で行動しようとするとき、あなたは自分を肉体だと考え、自分の精神によって物事を決断しているのだと信じているのです。

 

あなたには自由な意志と選択によって、自分の好きな生き方をする権利があります。

 

だからわたしは、あなたの選択を尊重し、あなたの生き方を大切にしてもらいたいと思っています。

 

しかし、もしあなたが、何かに苦しんでいて、そのことから抜け出したいと願っているのなら、少しだけでいいので、わたしの言葉に耳を傾けてみてください。

 

きっと何らかの形でお役に立てると思うからです。

 

そこでわたしはあなたに伝えます。

 

あなたの存在の本質は愛です。

 

愛とは全体であり、一部ではありません。

 

愛はすべてであり、ここにあるとか、あそこにあるなどと言えるものではありません。

 

あなたには形がありません。

 

あなたは肉体ではありません。

 

あなたは人間ではありません。

 

あなたは最初の世界と一緒に、ずっと愛と共にいて、愛から離れたことはなく、今も愛と一つです。

 

このことは受け入れがたい考え方かもしれませんが、あなたが苦しみから解放されるということにおいて、必ず役に立つ考え方となります。

 

あなたはその体を操作している意志です。

 

あなたはその心を使用している器です。

 

それ以上でも以下でもありません。

 

あなたがこのことを本当の意味で理解することができれば、この世界で起こるどんなこともあなたを傷つけることはできなくなります。

 

たとえば、ある感情があなたを支配しようとするとき、あなたはその感情と一つになるのではなく、つまり、自分の感情を自分のものだと思うのではなく、ただ、「自我」という人格が、その感情へとあなたを誘っているだけなのだと考え、観察してみてください。

 

これは感情の面ばかりではなく、あなたの体と心のあらゆる反応に応用させることができます。

 

「自我」はあなたを悲しませたり、憂鬱にさせたり、怒らせたり、劣等感を感じさせたりすることで、あなたが愛などという高尚な存在では絶対にないのだと、あなたに思い込ませようとしているのです。

 

そうすることで、「自我」は自分の存在を守り、継続してあなたに寄生し、あなたを通して、この世界の享楽を楽しんでいるのです。

 

これはつまり、あなたの中に、あなたの主体性を奪っている何者かが存在しているということです。

 

もっとも、実際には「自我」は存在しておらず、あなたが愛であることに気がつけば、夢から目が覚めるように「自我」はどこかへ消えてしまいます。

 

あなたを動揺させることのできるものは、本当はこの世には存在していません。

 

これには、そういうものがあって、それはあなたを動揺させられない、という意味だけではなく、そういうもの自体が、実際には存在していないという意味でもあります。

 

あなたは愛という尊いものでありながら、自分のことをそれほど評価していないことに、わたしは驚いています。

 

わたしは、なんとかしてあなたに、このことを伝えなければならないと思っています。

 

どうしたら自分を愛だと思えるのか、などと考えないでください。

 

それはこの世界的な考え方、取り引きの考え方です。

 

そうではなくて、あなたはもうすでに最初からずっと愛です。

 

あなたが今見ている世界は、あなたが意味づけをする前の最初の世界とは別のもので、あなたはあなたの創り出した夢の世界の中で苦しんでいるのです。

 

どうか、すべての怖れを手放し、本当の自由を獲得してください。

 

どうか、自分が愛という素晴らしい存在なのだと、少しでもいいので考えてみてください。

 

ありえないほどの喜びが、あなたのためにはじめから用意されていて、その場所に今もあなたは立っているのです。

 

自分を愛してください。

 

それがすべてです。

 

どうやったら自分を愛することができるのか、あなたは戸惑うかもしれませんが、正しいやり方なんてありません。

 

あなたが自分を愛するとはこういうことだと思うことは何でも、積極的に試してみてください。

 

そうすれば、少しずつあなたの「現実」が変わっていきます。

 

それは、変わるほかないのです。

 

「自我」は愛と共に存在することはできないのですから。

 

自分を愛してください。

 

このことがあなたに伝われば、わたしは他に何も望みません。

 

あなたの生きる毎日が、「思考」と「自我」を完全に手放し、自分をどこまでも大切にすることによって、「愛」と「自由」を抱きしめるものとなりますように。

 

愛と光を。