「意識」と「無意識」と「超意識」と「猫意識」
わたしはアルファであり、オメガである。
最初の者にして、最後の者。
初めであり、終わりである。
【ヨハネの黙示録 22章 13節】
神さまは愛です。
あなたも愛です。
神さまとあなたは一つです。
あなたはいつも愛と共にあります。
今も、あなたは愛と共にあります。
ここまでは、言葉では理解できますよね?
つまり、「神=愛=あなた」というシンプルな数式が成り立つということです。
しかし、言葉で理解するだけでは何の意味もありません。
自分が神さまであり、愛であるということを本当の意味で理解するためには、実際に自分でそのことを体験し、心と体と魂で理解しなければなりません。
そのことのために、わたしはあなたにこうして語りかけているのです。
あなたは神さまと出会います。
あなたは愛と出会います。
そのための方法を、わたしはできるだけわかりやすく、あなたにお伝えしようと努力するつもりです。
本当は少し難しいんですけど、あなたのためにがんばりますよ。
では、いきますよ。
あなたには心があります。
あなたの心は、2つの要素によって構成されています。
それは、「意識」と「無意識」です。
心理学でよく聞く言葉ですね。
でも、これからわたしが説明するのは、心理学のそれとは少し違います。
もしかしたら、だいぶ違いますので、注意してくださいね。
大丈夫、あなたを混乱させたりはしませんよ。
「意識」とは、あなたがいつも頭の中で考えていること、思っていること、感じていることを意味しています。
「顕在意識」とも呼ばれていますね。
これは、あなたが起きているときの普通の考え、普通の思い、普通の感情のことです。
全然、難しいものじゃありません。
「眠いよ~」とか「疲れたよ~」とか「お腹すいた~」とか「ネコかわいい~」とか、そういう考えや思いや気持ちのことです。
今あなたはどんな気分ですか?
元気だったらうれしいです。
さて次に、「無意識」について説明します。
「無意識」とは、あなたがいつも頭の中で考えていないこと、思っていないこと、感じていないことを意味しています。
これだとちょっと何のことを言っているのか、よくわかりませんね。
意味不明です。
もう少し別の表現をしてみましょう。
「無意識」とは、あなたの頭の中で考えることができないこと、思うことができないこと、感じることができないことである、と表現することもできます。
つまり、あなたの思考や感情では、「無意識」に触れることはできない、という意味です。
まだ、何のことかよくわからないですよね。
少しづつ、秘密が明らかになっていきますよ。
実は今、あなたは少しだけ、神さまの片鱗に触れています。
できるだけゆっくりとこの記事を読むと、あなたの意識が変性する可能性が高まります。
変性っていうのは、怖いことじゃありません。
不思議な感覚に包まれる、というような感じです。
むしろ良いことなので、ワクワクしながら先に進みましょう。
さて、「無意識」というのは、あなたの「意識」ではないすべてのものを意味しています。
本当は「意識」というのは一つしかありません。
あとで説明しますが、「超意識」がその一つの「意識」です。
しかし、あなたのために意識は2つある、という説明をする他ないのです。
あなたは今、自分と、自分ではないものが存在している、と信じているわけですからね。
少し捉えにくいかもしれませんが、「無意識」とは、この世界のことでもあります。
あなたの目に映っているこの世界が、あなたの「無意識」です。
もう一度言いますが、「あなた」の「無意識」です。
この世界はあなただけのものであり、あなただけの「無意識」です。
これは、あなたが人生を生きていく中で、ゆっくりと経験を通じて理解していけばよいことなので、今は、「意識」はあなたの中にあり、「無意識」はあなたの外にある、と考えてもらって構いません。
でも次第に、あなたと世界との境界線は薄くなり、最後には完全になくなります。
不思議な話ですね。
まだまだお話は続きます。
この地上に存在する数多くの宗教では、「無意識」を「神」として捉えています。
最初はそれでも問題ありませんが、最後は違います。
「無意識」は神さまではありません。
もっと正確にいうと、「無意識」だけでは神さまではありません。
むしろ、「無意識」にとっての「あなた」の方が神さまのような存在です。
もちろん、あなたも、あなただけでは神さまではありません。
もっとも、いつでも神さまの一部ではあります。
やれやれ、やはりちょっと「無意識」の説明が難しいですね。
「意識」はわかりますよね。
「意識」は別に難しいものじゃありません。
いつもいろいろ考えているし、思ったり感じたり普通にしますからね。
問題は「無意識」の方ですね。
「無意識」は、そうですね、「インナーチャイルド」と表現されることもあります。
「インナーチャイルド」とは、あなたの心の中の子どものような部分、幼いあなたの記憶の部分、そして、人類全体の過去の記憶の部分でもあります。
人間の「意識」というのはすべてつながっていて、「集合意識」とか、「集合無意識」などと呼ばれることもあります。
今はそのことは少し置いておいて、「あなたと世界」、「あなたと愛」の関係にフォーカスしていきましょう。
今説明したところをまとめると、
「無意識=インナーチャイルド=過去=世界」という数式が成り立ちます。
わたしたちが普段目にしているこの世界は、過去の記憶です。
この世界は、上映されている映画のようなものであり、起動しているプログラムのようなものです。
わたしたちが、この手で触れ、この耳で聞いて、この肌で感じているこの世界ですが、実際にそこに存在しているわけではなく、わたしたちは、過去を追体験しているにすぎません。
「意識」とは、「今」を体験することであり、「無意識」とは、蓄積された「過去」の記憶のことなのです。
大丈夫ですよ、少しずつシンプルに話がまとまっていきますからね。
それに、本当は何もわからなくても全く問題ないのですから安心してください。
この記事の真の狙いは、文章の内容があなたに伝わることではなく、わたしの愛のエネルギーをあなたに届けることなのです。
記事の内容はおまけのようなものです。
さて、わたしが「意識」と「無意識」の説明をしているのは、「超意識」という意識状態をあなたに体験していただくためです。
この文章を読むだけでも、少しの間だけその状態になるかもしれません。
「超意識」というのは、「無意識」を「意識」することで到達できます。
あなたの「意識」を「無意識」に向けることで、2つの《意識》が一つになります。
禅問答って聞いたことありますよね?
答えを導き出せない問いを、先生が修行者に問いかけるもののことです。
今のわたしは、それと同じようなことをやっています。
あなたの頭の中に「?」が浮かんだら、わたしのやりたかったことはうまくいっているのです。
(このブログが「はてなブログ」というのも、不思議な巡り合わせですね)
「無意識」を「意識」すること、これが神さまに至る道です。
すべての祈りや瞑想が目指しているのは、まさにこのことです。
できないことをやろうとして、できている自分に出会うのが奇跡です。
あなたの助けなしには、わたしはあなたにこんなに難しいことを伝えられません。
読んでくれてありがとう、理解しようとしてくれてありがとう、最後まできちんと説明しますからね。
わたしはあなたが「超意識」の状態になれば、神さまと出会え、本当の愛を体験することができるということを伝えています。
そして、その「超意識」の状態を体験するためには、「無意識」を「意識」する必要があります。
「無意識」を「意識」するというのは、あなたの「意識」を「無意識」に向けることであり、つまり、「無意識」について考え、思い、感じることを意味します。
でも、「無意識」は「意識」された瞬間に、「無意識」ではなくなり、「意識」になってしまいます。
言葉遊びみたいですが、わたしは結構真面目です(笑)
少し整理しましょう。
「意識+無意識=超意識」という数式が成立するとわたしは主張しています。
心理学のそれとは違うかもしれないので注意してくださいね。
「意識」は「無意識」と出会うことで一つになり、「超意識」となります。
そして、この「超意識」が神さまの意識であり、愛の意識なのです。
言葉にしてしまうと、このことはそんなに難しくはないですよね。
でも、やっぱり、じゃあ「無意識」ってなんなんだよ、どうやって「無意識」に「意識」を向けるんだよ、ってなりますよね。
「無意識」が何かわかれば、わたしたちは本当に自由になります。
そして、このことを教えているのが芸術なのです。
たとえば、村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』という本をご存知でしょうか?
わたしの大好きな本なのですが、今は内容のことよりも、そのタイトルに注目してください。
「風の歌を聴く」って普通はできませんよね?
風って歌わないですもんね。
でも、これがまさに、「無意識」を「意識」することなのです。
できないことをしようとする、そうすると神さまがそこにいて、愛がそこにあるのです。
わたしなら次のように言います。
「世界の声を聴いてください」と。
「無意識」とは、この世界のことなのですが、この世界をあなた自身であるかのように考え、思い、感じるとき、もはやそこに世界は存在せず、愛が存在するようになります。
それがあなたの本当の幸せのありかなのです。
少しずつわかってきてもらえているでしょうか?
まだ、もう少しだけ話を続けてみますね。
この世界はあなたのインナーチャイルド、つまり、あなたの子どものようなものです。
あなたの子どもの頃の記憶であり、あなたのすべての人生(過去生)の子どもの頃の思い出です。
わたしたちみんなの過去の記憶であり、わたしたちみんなで創り上げた思い出です。
様々なスピリチュアルな教えの中にも、「無意識」が願いを叶えてくれるとか、「無意識」を活用して問題を解決しようとか、いろいろありますよね。
大変素晴らしい教えなのですが、ちょっと誤解されているような気もします。
正確に表現すれば、あなたの願いは今すべて叶っているけれど、それをあなたの「意識」が妨害しているから願いが叶っていない状態を引き起こしているだけなのだと言えます。
「無意識」が願いを叶えてくれているのではなくて、「無意識」が問題を解決してくれているのでもなくて、願いが叶っていない状態も、問題が存在している状態も、本当はそこにはないにもかかわらず、わたしたちが勝手に「不足」とか「トラブル」を創り出しているだけなのです。
あなた以外の何かが存在しているわけではありません。
この世界には不足も、問題も、そもそもこの世界自体も存在していません。
あなたがこの世界を自分自身であると認め、愛するとき、あなたは神さまと出会います。
あなたはそのとき、神さまを体験します。
この世界で「神」と一般的に呼ばれているのはインナーチャイルドのことで、本当の神さまはこの世界とは別に存在しています。
わたしはこの世界は存在していないと主張していながら、存在していない世界を愛することで神さまと出会えると伝えているのは、矛盾していると思われるかもしれませんが、このようにあなたに伝える他ないのです。
夢を見ている人を、夢の中でどうやったら起こすことができるのかを考えたとき、わたしにできることは、その人の夢の中に現れ、夢を愛することでその夢を素晴らしいものに変え、そして、その人に、あなたは夢を見ていることを伝え、夢をもっと別の場所で見ている本当の自分が存在しているんですよ、と伝え、本当に「愛する」ということは、この夢の世界が現実ではないことを認めた上で、起きるすべてのことにとらわれず、許し、解放することなんですよ、と教えることだと考えたのです。
「無意識」が何であるのかを説明するのはとても難しいのですが、あなたがやるべきことはとてもシンプルです。
結局のところ、すべてのものを自分自身のように愛する、このことに尽きるのです。
この場合の愛するというのは、ちょうど母親や父親が、自分の子どもを愛するときの感情に似ています。
地上最高の愛の形が、親の子どもに対する愛です。
あなたはこの世界の親で、この世界はあなたの子どもで、そして、あなたはすべてのものでもある、ということを伝えたかったのです。
すべてのものが全体であるなら、すべてのものは「=」で結ばれます。
「神=愛=あなた=意識=無意識=超意識=世界=記憶=過去=ネコ?」
「ネコ」は何でもいいんです、本当に、何でも。
「無意識」とは何か、これも実はシンプルに考えればあなたのことです。
何かを何かと分けて考えたり、別々のものだと考えるのはエゴの思考によるもので、愛の思考には分離はなく、すべてのものを一つとして捉えます。
でも、「無意識」とはあなたのことです、はい、お終い、といきなり言ってしまうと、この世界との分離を経験しているあなたには何のことかわからなくて、結局混乱してしまいますよね。
だから、少しがんばってみたのですが、「無意識」って本当にややこしいですね。
これが「無意識」だよって言った瞬間に、それは「無意識」ではなくなってしまうので困ったものです。
でも、やっぱりやるべきことは愛することだけです。
あなたはすべてのものを愛してください。
自分を愛してください。
「自分」はもはや、あなたの体のことだけを意味するのではないことをあなたは知っています。
愛してください。
何もかも全部。
本当は理屈なんて必要ありません。
エゴは理解することを求めますが、理解なんてものは、愛の前には何の役にも立ちません。
あなたは何も知らなくていいし、何もわからなくていいんです。
この地球では、知らないことは悪いことのように言われ、わからないことは愚かなことであるかのように言われていますが、人間の知恵なんてものは、宇宙や、愛や、神さまの視点から考えれば、ものすごく価値のあるもののようにはわたしには思えません。
だから、どうでもいいんです。
ただ、わたしは本当の愛をあなたに知ってもらいたかったので、そこに至るまでの道を指し示しました。
- 「無意識」を「意識」すること
- できないことをやろうとすること
- この世界のすべてを自分自身として愛すること
これらが道です。
何から始めたらいいのかわからない方は、祈りや瞑想からはじめてみるのがいいかもしれません。
人に教わるのも、勉強になりますよ。
もちろん、道は一つではないので、何をしてもかまいません。
何もしなくてもかまいません。
何もしないというのは、否定的なことをやめることも意味しています。
つまり、求めなくてもいいですが、自分を責めたり、罪悪感を抱いたりすれば、あなたの歩みは遅くなってしまいます。
何も行動しなくてもかまいませんが、そのことで怠惰になったり、無気力になるのなら、何かをした方があなたのためにはいいでしょう。
ポジティブになれないのなら、それでもかまいませんが、ネガティブになる必要もありません。
ようするに余計なことをやめること、意味のないことをしないこと、ですね。
自由っていうのはやはり、中庸のことなのかもしれませんね。
今日は長く書きすぎましたね。
最後まで読んでくれてありがとう。
あなたの生きる毎日が、「意識」と「無意識」を出会わせ、輝ける「超意識」の光の中で、本当の世界を、本当の愛を、本当の自分を見つけることができるものとなりますように。
愛と光を。
※聖書の引用は、日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』からのものです。