「ひかり」と「あなた」と「せかい」と「ねこ」の物語
『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
【マタイによる福音書 25章 40節】
あるところに「ひかり」がありました。
「ひかり」は「あなた」と共にありました。
それがすべてであり、「ひかり」と「あなた」の他には何もありませんでした。
ある日「あなたは」、『「ひかり」から離れて存在したらどうなるのだろう?』と考えました。
すると、そのようになりました。
「ひかり」と「あなた」との間に「せかい」が生まれました。
「せかい」が壁のように「あなた」の前に立ちはだかったので、「あなた」には「ひかり」が見えなくなりました。
「ひかり」が見えなくなると、あたりはとても暗くなり、「あなた」は怖れました。
すると、そのようになりました。
「あなた」は「あなた」の中にあった怖れを、「せかい」の中に映し出し、「せかい」は怖れで満たされるようになりました。
「せかい」には不足が生まれ、「せかい」には争いがはびこり、「せかい」には失望が影を落としました。
「あなた」は、『こんなものを創るつもりはなかったのに、こんなものを生み出すつもりはなかったのに…』と自分を責める気持ちを抱きました。
すると、そのようになりました。
「あなた」は「あなた」を罰するために、自分自身をバラバラにして、この「せかい」の中に閉じ込めました。
そうして「あなた」は、自分が何者なのかを忘れてしまったのです。
「ひかり」は何が起こったのかをすべて知っていました。
けれど、「ひかり」は「せかい」が存在するとは考えませんでした。
なので、そのようにはなりませんでした。
「せかい」は今も存在せず、「ひかり」は今も「あなた」と共にあります。
「ひかり」は「あなた」が眠っていて、悪夢を見ているだけなのだと知っていたのです。
「あなた」はパニックに陥っていました。
「ひかり」は「あなた」のことを心から愛していたので、なんとか「あなた」のことを救おうと、ある計画を立てました。
それが、「きりすと」による救済の計画です。
「ひかり」は「きりすと」を「あなた」を救うシンボルとして、たくさんの「あなた」たちの中に遣わしました。
「きりすと」は「あなた」が創り出した「せかい」から「あなた」を救うために、「あなた」の名前を呼び続けました。
今も、「きりすと」は「あなた」の名前を呼び続けています。
「あなた」の名前、それは「あい」です。
「きりすと」は「あなた」が自分の名前を思い出せば、バラバラになった「あなた」が一つになり、怖れに満ちた「せかい」が消滅することを知っていたのです。
「あなた」が自分らしさを取り戻すためには、自分らしく振る舞わなければなりません。
だから「きりすと」は、「あなた」に最もふさわしい行いをするように求めました。
それは、愛することでした。
「あなた」が人を自分のことのように愛するとき、「あなた」は自分が何者なのかを思い出します。
「あなた」が自分は何者なのかを思い出せば、「あなた」は救われ、「せかい」は消え、「あなた」は再び「ひかり」と一つになることができるのです。
そのために「きりすと」は、病人の姿となり、障害を負った者の姿となり、貧しい者の姿となり、悩み、苦しみ、助けを求める者の姿となって、わたしたちの間に現れました。
最初に、「きりすと」は「あなた」を助けませんでした。
まず、「あなた」が「きりすと」を助けるのです。
そうすることで、「きりすと」は「あなた」を助けます。
助けてください。
「あい」してください。
「あい」をください。
「あい」を。
「愛」を。
この物語の続きは、「あなた」の生き方で変わります。
ただし、必ずハッピーエンドで終わることを、「わたし」は「あなた」に約束します。
あなたの生きる毎日が、美しい神学であり、神秘に満ちた物語であり、自分の名前を、自分の愛を、この世界に証明するものとなりますように。
愛と光を。
※聖書の引用は、日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』からのものです。