感謝と「かんしゃ」は別のもの。ネコと「ねこ」は別のもの。
世も世にあるものも、愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。
しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。
【ヨハネの手紙一 2章15節から17節】
この世界は存在していません。
あなたは夢を見ています。
そして、夢の中で与えられているものに、あなたは実在を付与してしまっています。
あなたは夢を現実だと捉え、その現実の中で、いかに幸せな生活を送ることができるのか、ということに、あなたの意識のすべてを向けてしまっているのです。
夢を現実だと思いこんでいる限り、あなたはその夢の世界から抜け出すことはできなくなります。
そうすると、あなたは本当の喜びを得られず、本当の幸せを知らず、夢の世界が提供するものに一喜一憂し、疲れ果て、いつか心を失ってしまうことでしょう。
わたしはあなたを愛しています。
だからわたしは、あなたがまっすぐに本当の幸せと出会うために、真実をあなたに伝えます。
正しい教えと、そうではない教えの違いを示し、正しい教えの方をあなたに選んでいただくためです。
あなたは感謝することは素晴らしいことだ、と教えられています。
全くその通りなのですが、ここには一つ問題があるのです。
それは、地上には2種類の感謝が存在し、一つはあなたを本当の幸せへと導きますが、もう一つはあなたに一時的な幸福感を与えるに過ぎないということです。
これから正しい感謝のことを「感謝」と表現し、そうではない感謝のことを「かんしゃ」と表現します。
「感謝」は、あなたの本質の発露です。
これは、あなたの真の自己表現であり、この世界で起こっていることとは無関係にあなたを喜びで満たします。
「感謝」は、あなたがあなたでいるとき常にしていることであり、「感謝」の中にいるとき、あなたは何も持っていなくても幸せを感じることができます。
一方、「かんしゃ」は単にエネルギーの交換です。
これは、夢の世界があなたに提供してくれたものに対するお礼であり、一見すると美しいもののように見えますが、実は怖れに根ざした思考に支配されています。
「かんしゃ」はときに、あなたに健康を与え、お金を与え、人間関係を良好にしてくれますが、「かんしゃ」をやめるとまたすぐにそれらのものは奪われるのです。
わたしはあなたに、地上での喜びも、天上での永遠の喜びも、どちらも獲得してもらいたいと願っています。
なので、「感謝」も「かんしゃ」もどちらも大切にしてください。
ただし、「かんしゃ」することに心を奪われ、自分を見失うようなことがあってはなりません。
本当の世界、愛の世界へと至るために必要なのは、「感謝」だけであり、他のものは重要ではありません。
「かんしゃ」しなければ不幸になる、とか、「かんしゃ」しないなんて罰当たりだ、など、あなたに怖れや罪悪感を抱かせる教えを信じてはいけません。
「かんしゃ」はただのツールです。
もちろん、便利なツールです。
健康になるために「かんしゃ」を使い、経済的な豊かさを得るために「かんしゃ」を使い、人間関係を円滑にするために「かんしゃ」を使ってください。
そして、あなたの生活が潤い、心に余裕が出てきたら、もっと深い真実のために、もっと深い神秘のために、あなたの「感謝」を捧げましょう。
あなたは愛です。
そして、「感謝」は愛から離れることができません。
「感謝」とは、愛から発せられる光であり、今ここに奇跡が起きていることを宣言する行為でもあります。
自分が自分であることに、あなたの「感謝」を捧げましょう。
自分が愛であることに、あなたの「感謝」を捧げましょう。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
「感謝します」
「愛しています」
あなたの生きる毎日が、感謝の魔法で光り輝き、地上での喜びも、天上での喜びも、シャワーのように降り注ぎ、あなたを笑顔で満たしますように。
愛と光を。
※聖書の引用は、日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』からのものです。