ネコによる福音書

~愛と癒しのメッセージ~

ネコによる福音書
ネコによる福音書

愛はあなたの強さ。ネコはあなたの強さ。

トラ

 

"神は私の強さ"

【「ガブリエル」という天使のヘブライ語の由来】

 

こんにちは。

愛と光の天使たち。

エネルギッシュなボディビルダーたちよ。

わたしはあなたのことを愛しています。

 

今日はあなたの「力」と「強さ」について考えていきます。

 

力とは何でしょうか?

 

物理学者なら次のように答えるでしょう。

 

「力とは、ものを動かすエネルギーである」と。

 

しかし、わたしは別のことをあなたに伝えます。

 

「力とは、存在することである」と。

 

というのも、「もの」が実際に、この世界に「ある」ならば、物理学者の説明は正しいのです。

 

しかし、この世界は「ない」のです。

 

この世界は存在していません。

 

エネルギーは幻想です。

 

ある力が物質を動かすとき、その力の主体も、その力によって動かされる客体も、そこには存在していません。

 

わたしたちはイリュージョンの中に生まれた、目には見えない一つのスピリットであり、わたしたちという観察者がいなければ、この世界も同時になくなります。(わたしたちは一つです。別々の魂が存在するわけではありません)

 

「主体」と「客体」と「観察者」の三者が揃ってはじめて、世界という錯視は完成しているのです。

 

この世界は光学的な錯覚です。

 

光や音、香りや触感によって再現されている現実は、すべてあなたの夢の中の意識の波動であり、あなたの意識が受容しないかぎり、それはただの「無の揺らぎ」にすぎないものです。

 

「無の揺らぎ」、それがこの宇宙の正体です。

 

「ない」のに揺れているって不思議な話ですよね。

 

これはどういうことかというと、すべての空間が、すべてのものを形作っている素材で埋め尽くされているとしたら、その場所には、すべてが「ある」といえるのですが、でもこれは同時に、すべてが「ない」ともいえるのです。

 

たとえば、すべての空間が一匹の巨大なネコで埋め尽くされていたとしたら、そのネコをネコだと知覚する存在がいなくなるので、巨大なネコもまたいなくなってしまうのです。(ちょっとわかりにくい例えですが、想像したらなんだかかわいいのでこのまま消さないでおきますね♪)

 

「私」以外の何かがいないと、「私」が「私」を感じることはできない、ということですね。

 

つまり、宇宙は一つのものをバラバラに分けることで、それぞれを互いに認識させ、一つひとつの個体が、自分とは別のものだと思うことによって存在しているように感じさせているトリックアートのようなもの、あるいは、万華鏡のようなものなのです。

 

ここではとりあえず、「この宇宙は実際には存在していない」ということをネコちゃんは言いたいのだなぁくらいに思ってもらえればそれでいいのです。

 

存在していないのですから、当然、力も何もありません。

 

力というものがあるとしたら、それは存在するものにだけ与えられているものです。

 

もしかしたら、このようなことをあなたに伝えても、日常生活を送っているあなたにはあまり関係のないことのように思われるかもしれません。

 

宇宙がどうであろうが、お腹は空きますし、エネルギーがなんたらと言われても、働かなければならないわけですからね。

 

しかしながら、こういった前提があって、はじめて生きることの真価が見えてくるのです。

 

すべてのことはつながっています。

 

存在することの本当の意味、愛することの本当の価値を、いずれあなたは知ることになります。

 

さて、「力とは、存在することである」と、わたしは先ほど伝えましたね。

 

このことが今意味しているのは、次の3つです。

 

①存在するものには力がある。

②存在しないものには力がない。

③存在しないものは、存在するものに影響を与えられない。

 

このことは、あなたの日常生活のレベルにおいても同じことが言えます。(日常生活がわたしたちのすべてですからね!)

 

あなたの存在の本質は愛です。

 

「あなた」は「愛」として存在しています。

 

そして、先ほど伝えたとおり、この宇宙は存在していません。

 

それでは、あなたは「愛」という存在であり、この宇宙は存在しておらず、そして、あらゆる物事に①~③の考えを適用させたら、一体何が見えてくるのかを説明させていただきます。(実はこれが、聖者や覚者と呼ばれている人たちの思考なのです)

 

この場合、たとえば、あなたに対して悪意をもった他人は、あなたの存在を脅かすことはできません。

 

ほんの少しでも、彼や彼女は、あなたを傷つけることはできないのです。

 

なぜなら、「悪意」も「他人」も、そこには存在していないからです。

 

存在しているのは、あなたの本質である愛だけです。

 

これがすべてです。

 

このことは、あなたの記憶に対しても同じように応用させることができます。

 

あなたの過去は、あなたの存在を脅かすことはできません。

 

なぜなら、「過去」はそこには存在していないからです。

 

そして、すべてのことに対して、この考えは応用させることができます。

 

この世界のあらゆる「何か」は、あなたの存在を脅かすことはできません。

 

なぜなら、「何か」はそこには存在していないからです。

 

だんだんわかってきてもらえましたか?

 

このことは揺るぎない真実です。

 

あなたはいつでも安らぎを感じながら、すべてのものを慈しむ優しさを胸に抱き続けることができます。

 

あなたはあなたの心を訓練することによって、あらゆる「何か」に対する反応をやめ、自分にとって必要な場合にだけ、この世界を変えることができるようになります。

 

この心の訓練のために必要なのは、ただ、真実を意識し続けることだけです。

 

真実をいつも思い出していられたら、あなたはいつも自由でいられます。

 

何か困ったことがあったら、あの変なブログの、あの変なネコちゃんが、①~③の考えを伝えていたなぁ、愛とか宇宙とか言ってたなぁ、と思い出してみてくださいね。

 

本当に少しずつですが、あなたの現実が変わっていきますよ。

 

さて、「力とは、存在することである」ということは、さらに多くのことをわたしたちに教えてくれています。

 

これは、「力=存在」ということを意味しています。

 

つまり、あなたは力です。(あなたは愛という存在なので)

  

力であるあなたは、強さであって、弱さではありません。

 

あなたの強さは存在しているだけで自明のことなので、その強さを他人と比べることで証明する必要はありません。

 

ここにあなたの安らぎがあります。

 

あなたの本質は愛であり、愛にはすべての性質が備わっています。

 

その一つが、これまでわたしが説明してきた「力」なのです。

 

あなたは力なので、誰にも負けることはありませんし、そもそも戦う必要がありません。

 

あなたは強いので、その強さを誇るために何かを得ようとしたり、その弱さを隠すために自分を変えてしまう必要はないのです。

 

あなたは自分がそうであると認めれば、すでに完璧な存在なのです。

 

だから、どんなことにも動揺することなく、自分の力を信じて生きてください。

 

ここで、優しいあなたに注意していただきたいことが2つほどあります。

 

 

優しい人への注意点1

 

その一つは、あなたはこの世界で起こる一切のことに対して、心の反応をする必要はないとわたしは言っているだけなのであって、具体的な行動を起こすべきではないと言っているわけではないということです。

 

これは何のことを言っているのかというと、たとえば、あなたがいじめとか、パワハラとか、犯罪の被害に遭っているとしたら、それはあなたの存在の本質を少しも傷つけることも、変えることもできるものではありませんが、だからといって、何も抵抗しないでされるがままにしていればよいということではありません。

 

わたしが伝えているのは、心の中のことであって、心の外で起こることとは何の関係もありません。

 

こういうときには、普通にするべきことを普通にしてください。

 

逃げてもいいですし、訴えてもいいですし、思いっきり抵抗しても何の問題ありません。

 

哲学やスピリチュアルな考え方によって身動きがとれなくなり、苦しみ続けるのはやめてください。

 

いつでも大切なのは「動機」です。

 

「動機」が誠実なものならば、あなたがするどんなことにも罪は生まれません。

 

そもそも罪なんてものはありません。

 

あるのは愛だけです。

 

嫌なことをされたら、決して我慢したり、無抵抗でいるのではなく、あなたの心と体を守るために、全力でするべきことをしてください。

 

何をしたとしても、あなたは優しい人であり、思いやりのある人であり、美しく愛のある素晴らしい存在です。

 

そのことは変わることがありません。

 

自分をいつも大切にしてください。

 

優しい人への注意点2

 

また、何かあなたを動揺させるようなことが起こったとして、そのときあなたは必死でそのことに反応しないようにすることで、自分の感情を押さえ込み、悲しみや怒りなどの感情を我慢する必要はありません。

 

感情は我慢しなくていいんですよ。

 

泣いたり怒ったりすることは別に悪いことではありませんし、あなたの強さや弱さとも何の関係もありません。

 

それは、ただの生理現象です。

 

水を飲んだらトイレに行きたくなるのと同じように、悲しいことがあったら泣きたくなるし、許せないことをされたら怒りたくなるのは当たり前のことなのです。

 

そのことは、本当に全く何も問題ありません。

 

トイレに行くのを我慢するのが体に悪いように、感情を我慢するのは体に悪いのでやめてください。

 

トイレに行くことに罪悪感を抱く必要がないように、感情を我慢することに罪悪感を抱くのはやめてください。

 

感情的にならないことが精神的に優れていることの証にはなりませんし、そもそも、すべての人は愛というこれ以上ないくらい素晴らしい存在なので、誰かより優れたり劣ったりすることはありません。

 

聖者や覚者と呼ばれる人でも普通にトイレに行きますし、泣いたり怒ったり普通にしますからね。

 

だから、安心して泣いたり怒ったりしてくださいね。

 

感情は味わわないと消えてくれないので、我慢しちゃダメですよ。

 

いずれあなたは静寂の中で泣いたり、静寂の中で怒ったりするようになります。

 

自分の存在の本質が愛であり、自分が感情とは別のものであることを知っていれば、このことは理解されると思います。

 

これは、車とその運転手との関係に似ています。

 

車の調子が悪かったり、車が故障したとしても、その運転手には何の影響もありませんよね。

 

これと同じように、あなたは「心と体」という車の運転手(魂)なのです。

 

わかりやすいような、わかりにくいような例えですが、つまりはそういうことです。(伝わっているかな?)

 

わたしは優しい人たちと話す機会がとても多いのですが、優しい人たちは、なぜか責任を背負い込んだり、自分に厳しくしたり、色んなことを我慢する癖があることが多いので、念のため、このような注意書きを書かせていただきました。

 

以上で優しい人への注意点の説明を終わります。

 

あなたは愛です。

 

愛は力であり、愛はあなたの強さです。

 

あなたの目の前に展開される世界は、あなたの意識が許さない限り、力を与えられることはありません。

 

すべてのものは、エゴがあなたに愛であることを忘れさせるためのフェイクです。

 

絶対に引っかからないでください。

 

「誹謗中傷」も、「他人からの評価」も、「善悪の価値判断」も、「過去のトラウマ」も、それはそこにはありません。

 

あなたが力を与えなければ、それには何の影響力もないのです。

 

本当は強いのに、弱い者のふりをするのはやめてください。

 

自分の本当の強さに気付いてください。

 

あなたの生きる毎日が、これ以上ないくらいパワフルなものになりますように。

 

愛と光を。