ネコによる福音書

~愛と癒しのメッセージ~

ネコによる福音書
ネコによる福音書

ノン・デュアリティに目覚めよう。ネコ・デュアリティに目覚めよう。

ねこ

 

汝自身を知れ。

 【古代ギリシャの格言】

  

ようこそ。

愛と光の天使たち。

聖なる喜びのアセンデッドマスターたちよ。

わたしはあなたのことを愛しています。

 

今日は、ノン・デュアリティに目覚める方法、つまり、無我の境地に至るまでの考え方をご紹介しましょう。

 

ノン・デュアリティとは、デュアリティ(二元性)の否定形であり、すなわち、一つの世界、ワンネスの世界のことを意味しています。

 

ノン・デュアリティ、無我の境地に至るというのは、「自分」のことを完全に忘れることです。

 

あなたの苦しみのすべての原因は、この「自分」という意識にあります。

 

もうこれ以上あなたは苦しむ必要はないと思いますし、準備もできていると思うので、「自分」のことを忘れ、「自分」を捨ててしまいましょう。

 

ノン・デュアリティ、無我の境地に至るためには、特別な修行は必要ではありませんが、今まで「あなた」が信じてきたことを一つずつ手放していく必要があります。

 

そして、そのうちに「あなた」は考えることをやめ、考える主体である「あなた」であることをやめるようになります。

 

その瞬間、あなたは「あなた」が今までずっと探し求めてきた答えと出会います。

 

この考え方は、ゆっくりと順番に丁寧に考えていけば、あるいは、考えるのをやめていけば、必ず「わかり」ます。

 

もし、このメッセージを聞いて、少しでも何かを怖いと感じたり、怒りや悲しみなどを感じたら、そのときはしばらく休んで、このことを忘れてしまってください。

 

わたしは今から、あなたではない何者かに気づかれることなく、少しずつその何者かを解体していき、最後には魔法のように消してしまおうと考えています。

 

その何者かが完全に消えるのはいつになるのかわかりませんが、日々の気づきを繰り返しているうちに、それは突然起こります。(怖いことじゃありません、とっても幸せなこと、というか幸せそのものです)

 

恐怖や怒りや悲しみなどの感情は、その何者かが、自分の存在を脅かされることから身を護るために発するシグナルであり、このシグナルが鳴ったら、敵に見つかってしまう前に逃げるべきなのです。

 

まぁ、あんまり深く考えず、リラックスしながら読んでいってください。

 

もともとあなたが全部知っていることをもう一度伝えるだけなのですから。

 

それでは始めますよ。

 

あなたは愛です。

 

あなたは愛なのですが、あなたは愛を怖れています。

 

あなたはなぜか、一番求めているものを怖れ、そこから逃げようと必死に意味のないことに執着し続けています。

 

あなたは自分を愛してはいません。

 

あなたは自分が大嫌いです。

 

「あなたは自分が大嫌い」

 

あれ?

 

でも、ちょっと待ってください。

 

この言葉、すごく変なことを言っているのがわかりますか?

 

「あなたは自分が大嫌い」とは、「私が私を大嫌いでいる」という意味ですよね?

 

「何言ってんのネコちゃん、あたりまえじゃないか、寝ぼけているのかい?」とあなたは思われるかもしれません。

 

ネコはまぬけなところがありますが、このことに関しては全く寝ぼけていません。

 

「私が私を嫌っている」とき、そこには2人の「私」が存在しているように思われます。

 

でも、あなたが現実だと思っている世界に「私」は1人ですよね?

 

2人も「私」はいませんよね?

 

ここでもまだ、「何言ってんだい、ネコちゃん、それは、自分で自分を嫌っているだけじゃないか、全然おかしくないよ」、とあなたは言うかもしれませんね。

 

しかしね、これはものすごくおかしいのです。

 

とんでもない過ちを、あなたは犯しているのです。

 

いいですか?

 

よく聞いてくださいね。

 

「私」は「私」を嫌うことはできません。

 

「自分」は「自分」を嫌うことはできないんです。

 

もし、「あなた」が「あなた」一人なら、「あなた」は「あなた」を認識することはできないのですよ。

 

1つのものは、2つに分かれなければ、他方を認識することも、理解することも、知ることも、関わることも、観察することも、経験することも、そして当然、嫌うこともできません。

 

わたしの言っていることの意味が、あなたに伝わっているでしょうか?

 

もし、「あなた」が「あなた」ならば、「あなた」は「あなた」を「あなた」として知ることはできないのです。

 

だから、「私は私が大嫌いだ」と「あなた」が言っているとき、そこには2人の「あなた」が必ず存在しています。

 

その片方は、偽物の「あなた」であり、もう片方は、本物のあなたです。

 

本物のあなたが、偽物の「あなた」のことを嫌っているのです。(実際には、あなたは「あなた」を嫌うことはできませんが、このことは少しずつ説明しますね)

 

偽物の「あなた」の正体は、エゴであり、それは1つ1つの想念の集合体であり、1つ1つの思い込みの束であり、1つ1つの心が集まって1つの人格を持っているかのように振る舞っている幻想なのです。

 

本物のあなたはこの「あなた」とは全く別に存在しています。

 

しかし、あなたは存在しているのですが、このあなたは自分を知ることはできません。

 

なぜなら、あなたは分けることのできない1つのものだからです。

 

1つのものは、自分を認識することはなく、ただ、そこに存在することができるだけなのです。

 

この、あなただけが存在しています。

 

あなたは、愛であり、生命であり、永遠であり、無限であるところの「存在」なのです。

 

だから、あなたが何かを思うとき、その何かを思っているのはあなたではなく、エゴなのだと知り、あなたはただ、あなたであってください。(実際には「知る」ことさえ必要ではありません)

 

ただあること。

 

それがあなたの答えです。

 

何か思いが生まれたら、その瞬間、「私は誰なのか」と尋ねてみましょう。

 

少しややこしいのですが、このとき、尋ねている主体も、尋ねられている客体も、そこいるわけではありません。

 

この問いは、思考を思考から解放するための上位の思考なのです。

 

「私は誰なのか」とは、「私=?」という問いかけであり、この「?」こそがあなたなのです。

 

あなたが人間だと思っているその存在には、この「?」を理解することができません。

 

でも、あなたはこの「?」であることができるのです。

 

できないことをやろうとするとき、そこに奇跡が起こります。

 

あなたはまさに奇跡であり、あなたが思っているようなものではないのです。

 

あなたが「?」でいるとき、世界は消え、あなただけが残ります。

 

世界が消えてしまうのは、観察者としての「あなた」が消えてしまうからです。

 

「あなた」がいなければ、世界はそこにありません。

 

「あなた」がいないというのは、「あなた」にとっての本当の死を意味します。

 

つまり、わたしはあなたに死ぬための方法を教えてしまっているのですね(笑)

 

でも、これは哲学的な死であり、地上世界の死とは別のものであり、また、「あなた」は死んでも実際には何も変わりません。(もともと何も起こっていないので)

 

「私は誰なのか」、「私は何者なのか」という問いを、いつも尋ねるようにしてください。(誰かに対してでもなく、自分に対してでもなく、ただ、尋ねます)

 

いつまでも「自分」と一緒に苦しんでいる必要はありません。

 

こういう思考のレベルにおいては、ある意味において、「あなた」が自分を嫌っていることは正当なことのように思われます。

 

なぜなら、現実世界(だと「あなた」が思っているもの)において、「あなた」に嫌いな人、苦手な人がいたとしたら、その人物のことを避けると思うのですが、それと同じことを、「いまここ」で実行することで、あなたはその人物(エゴである自分)から離れ、本当の自由を獲得することができるからです。(獲得すると言っても、獲得する「個人」はもうそこにはいませんので、ただ自由が残るだけです)

 

「私は誰か」

 

「私は誰で何者なのか」

 

それが問題です。

 

「?」を求めてください。

 

正確にいうと、「?」であってください。

 

求める「個人」が存在しないので、ややこしいのですが、何かを求めるとあなたはそれを得ることができません。

 

あなたがすべての執着を手放す必要があるのは、それがそこには存在しないからです。

 

あなたはすでにすべてのものを持っているのですが、あなたはなぜか幻想を手にとり、それを何か大切なもののように大切にしています。

 

だから、あなたの宝物をわたしが奪いに来たのではないかと「あなた」は考えるので、わたしのことを攻撃したくなったり、非難したくなったりするかもしれません。

 

でも、ネコもあなたの心が創りだした幻想の一部なので、ここには存在しないのです。

 

今、存在しないはずのネコが、存在しないはずの「あなた」に話しかけているという不思議なことが起こっています。

 

おかしな話ですね、ほんとに。

 

人生はミステリーです。

 

あなたは謎です。

 

究極においては、わたしの今日語った言葉には何の意味もないので、どうか忘れてしまってください。

 

何も重要なものはこの世にはありません。

 

ネコは「ネコ」としてあり、そしてなく、あなたは「あなた」としてあり、そしてありません。

 

すべてのことが完璧で満たされています。

 

あなたは愛されています。

 

というより、あなたは愛なのです。

 

言葉にできないことを伝えようとしてしてみましたが、やはりかなりむずかしいですね。

 

「私は誰なのか」

 

このことだけ頭の隅に置いておいてください。

 

そして、本当の意味で自分を愛してください。

 

自分を愛するとは、自分という存在がいて、それを大切にしようと努力することではなく、ただ、愛であるだけでいいのです。

 

「個人」は存在しないのです。

 

「個人」という思い込みは、単なるエネルギーが感じさせている錯覚に過ぎません。

 

エネルギーを解放してください。

 

エネルギーは存在しません。

 

ただ、言葉遊びではないのですが、存在しないということは、あまねく存在するということを意味しています。

 

すべての空間が純粋なエネルギーで満たされています。

 

だからこそ、その空間には何も存在しないのです。

 

やれやれ、頭がこんがらがってきてしまいますね。

 

あなたはエネルギーではありません。

 

あなたは愛です。

 

エネルギーは愛の表現であり、でも、エネルギーは愛とは無関係に生まれ、そして消えていきます。

 

エネルギーは絶えず変化し、とどまることがありません。

 

全体としては存在し、一部としては存在しない、という表現が正しいかもしれません。

 

ただし、愛は愛です。

 

エネルギーはエネルギーです。

 

このことを繰り返すのは、このことが重要だからです。

 

 愛の上に、というか、愛の中に、というか、そこにエネルギーがただ起こっています。

 

ただ、すべてのことを起こそうとして、それは起きています。

 

愛はただそれを見ています。

 

あなたはただそれを見ています。(見ると言っても目があるわけではありません)

 

映画を鑑賞している小さな子どものように、あなたはそれに夢中になり、そして、ついには、あなたは映画の登場人物になりきってしまったのかもしれませんね。

 

ん~。(´・ω・`)

 

無我の境地、むずかしいですね。

 

まぁ、のんびりやっていきましょう。

 

なにせ、時間は永遠に与えられているのですから。

 

一般的な死は存在しません。

 

それを知るだけでも、あなたに少しばかりの安らぎを教えてくれると思うのです。

 

だから、安心していてください。

 

大丈夫ですからね。

 

究極のレベルにおいては、悩みも苦しみもありませんからね。

 

さぁ、日常生活に戻りましょう。

 

何もがんばらないでください。

 

ただ、あなたがあなたであるべきところのものであれば、あなたは愛でいられ、愛することができます。

 

この幻想の世界の中にあっても、そこで積み重ねる愛の行いの一つひとつが、あなたを遥かなる高み、「いまここ」へと導くのですから。(ややこしいですが、そこは高いけど、高くはないんですね、「いまここ」なので)

 

あなたの生きる毎日が、少しずつ自分を忘れ、自分を手放し、世界を手放し、ただ、あるがままにすべてのことを許し、自由に、本当に自由に、ただ、愛でいられるものでありますように。

 

愛と光を。

 

p.s.

 

ノン・デュアリティにはまだ先があります。

 

それが、『奇跡のコース』という本の示している純粋な非二元論、ピュア・ノンデュアリティです。

 

これは、ノン・デュアリティに目覚めた「何か」が、幻想を生み出している一つの心とは完全に独立して、愛であることを選ばなければ見つけることができません。(「何か」というのはあなたのことですが、あなたというと「個人」である「あなた」と誤解されそうなので、「何か」としました)

 

このことは二語で示すことができます。

 

Love is.

(愛があります)

 

ただ、それだけです。

 

つまり、すべてが「無」であると気づくだけでは十分ではなく、そこから抜け出し、本当のすべてである「愛」と一つになる必要があるということです。(これは、夢の中でそれが夢であると気づくことと、夢から完全に目覚めることとの違いに似ています)

 

愛だけが存在します。

 

~おまけ~

 


ノンデュアリティとは? 大和田菜穂 2017.12.17

 

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愛からのメッセージ

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